たけしの忙中閑話

社会見学

自分はときどき、仕事の合間をぬってコンサートや映画や観劇などに出かけるように努めている。別に「教養主義」などというたいそうなものではない。なにより息抜きになるし、それに精神健康上もよいと感じるからだ。音楽や芸術や芸能の素晴らしさにに触れて心を躍らせ、精神をリフレッシュさせることはとても幸せで有意義なことだと感じるからである。

実は数年前までクラッシック音楽などもあまり聴く機会はなかったのだが、地元の別府市で世界的に有名なアルゲリッチさんの音楽祭が開かれるようになってからは、毎回のように出かけている。東京ではお気に入りのいわゆる「外タレ」のコンサートにもいくつか行った。そういう活動を総称して「社会見学」と自分で勝手に命名している(我ながら政治家とはこういう手前勝手な造語が実に得手であると思う)。

そんな中でつい最近、とても強烈に印象に残った「社会見学」を実行した。それはほかでもない、「歌舞伎鑑賞」である。いやぁ、驚いた。そして、大いに感動した。告白するのも恥ずかしいのだが、小生、実は今回初めて「歌舞伎」なるものを見に行ったのだ。今をときめく第十八世中村勘三郎の襲名披露公演である。

「新・勘三郎さん」とは「旧・勘九郎さん」のことであるが、、、おっとここまでキーボードを叩いてきてこれは凄い!ということに実は気がついた。「かんざぶろう」は一発で漢字変換できるが「かんくろう」はできない。つまり、「勘三郎」は歌舞伎界を代表する名前で「日本語変換ソフト」には最初から組み込まれているということである。歌舞伎に詳しい人に言えば嘲われそうなことかもしれぬが、まったく知識のない小生にとってはこれだけでも大いに驚くに値する(ちなみに「かんくろう」は変換すると「関苦労」と出た)。

で、そのくらい、歌舞伎の「か」の字も知らない小生がどうしてそんなところへ行ったか、である。実は以前から歌舞伎はぜひ一度、行ってみたいと思っていた。日本を代表する伝統芸能を一度も見たことがない、などというのは日本人としてはいかがなものか、と思っていたからだ。ただ、えらく難解なのではないか、したがって見に行ってもきっと退屈するのではないか、、、などと勝手に思い込んでいてこれまでなかなか足が向かなかったのである。

中村勘九郎さんはテレビなどでも有名な役者さんで小生といえども知っていた。まぁ、それだけではまだ行ってみる理由にはならないのだが、実は小生、以前に勘九郎さんを身近に感じたことがあったのである。と言うのは、今から約2年ほど前、小生の高校の先輩のラ・サール石井さんの演出で別府観光の立役者だった油屋熊八さんを主人公にした舞台があった。その時の主役をつとめていただいたのがほかならぬ勘九郎さんだったのである。そういうわけで自分では勝手に「知り合い」のように思っていたわけだ。そこへ幸いに親しい友人からの誘いがあったので、ついに思い立ったという次第である。

襲名披露公演は昼と夜で出し物を変えて演じているのだが、小生が行ったのは夜の部である。昼の部では新・勘三郎が襲名に当たってファンに正式な挨拶をするという「口上」というものがあって、「通」ならばそれを見ないと話にならないということらしいが、さすがになかなか昼間は時間が取れず、ようやく夕方以降の日程をやりくりして夜の部に参上することができた。

その日の出し物は三部構成になっていた。メインは「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」という出し物である。・・・と言われてもなんのことだか普通の人はわからない。かく言う小生にもむろんわかるはずがない。はて、困ったな、、、と思ったのだったが、実は会場にとても便利な道具があったのである。あらかじめ、受付けでイヤホーンを有料で申し込むと観劇の最中、ずっと専門家が実況中継してくれるのだ。

歌舞伎は言ってみれば「様式美」、「形式美」の世界であって現代劇のように役者が舞台を縦横無尽に駆け回るといったものではない。セリフも少なく、最小限の動きで感情を表現する。たまに吐かれるセリフも当然のことながら古語であって難解を極める。予備知識がなければ理解するのに苦労する、と言うよりも正直、理解できない。それを解説者が丁寧に説明してくれるのである。

そうやって初めて鑑賞した歌舞伎、この「盛綱陣屋」には小生、自分でも驚くくらい感動した。中でも最大の山場は「首実検」というシーンだった。なかなかうまく説明できないのであるが、少し長くなるけれども物語を再現してみるとざっとこうなる。。。。


戦国の世、とある武将の幼子が捕虜にされて敵方の屋敷に囚われの身となっていた。敵方と言ってもその大将である「盛綱」はその囚われている子の叔父さんである。実の父と叔父さん、つまりは兄弟が故あって敵味方に分かれて対峙していたわけだ。「この子が囚われている限り、弟の高綱は必ず奪還を企てて無茶な戦いを挑んでくるだろう。奴に勝ち目はない。むざむざ戦場に屍をさらすことになる。それはさせたくない」と兄である盛綱は考える。しかし、だからといって甥を逃がすわけにもいかない。。。

盛綱はさんざん苦悩した上で心を鬼にして甥であるその幼子を切腹させようと決心する。その子がいなければ弟を死なさないですむ、と考えたわけだ。一門の繁栄のためにはもうこの方法しかない、と腹を決める。これだけでも非情の決断である。さらになお非情であるのはその説得役に自分の母親、つまりその子のお婆さんを選んだことである。「孫に腹を切らせてくれ。。」と盛綱は泣く泣く母に頼むのである。祖母はむろん躊躇する。しかし、祖母もまた武士の母である。ついには盛綱の頼みを聞き入れ、断腸の思いでそのむごい役目を引き受ける。

何度も逡巡したあげく、お婆さんはようやく孫に話を切り出す。「父の侍としての誉れのため、ひいては一門の繁栄のためである。どうか祖母の願いを聞いておくれ。」と泣くようにして自刃を頼む。ところが孫は言うことを聞かない。幼子である。当然といえば当然だろう。しかし、祖母はさらに心を鬼にする。「それでも侍の子か!この期におよんで卑怯ではないか!」となじり、こうなった以上は自らの手で、と覚悟を決め刃を抜く。。。。しかし、、、できない。剣は孫を避けるようにして力なく宙を舞い、ついに祖母はその場に泣き崩れる。。。。

(小生、この段階でもう涙、涙、である。しかし、クライマックスはいよいよここからだ。)

そうこうしているうちに弟、高綱は案の定、戦を仕掛けてくる。なんとしても避けたかった戦いがついに始まってしまったのだ。予想通り、高綱は苦戦し、形勢極めて不利な状態に追いこまれる。この間、勘三郎演ずる盛綱は自陣にて戦況を苦々しく見つめているのだが、そこへ事態を察知した味方の総大将がやってくることになる。盛綱が陣屋に総大将を迎え入れた矢先、戦場から「高綱討ち死に」の伝令が届く。そこで総大将は盛綱自らが実弟・高綱の「首実検をせよ」と命ずるのである。盛綱の陣屋は重苦しい雰囲気に包まれる。

やがて、総大将控える盛綱陣屋の大広間に高綱の「首」が運び込まれた。盛綱以下、幼子も祖母も総大将の前にひれ伏し、その、もっとも見たくなかった首の前に居並んでいる。盛綱は「それでは首実検つかまつる」と言いつつ、ズズズイッと鮮血に染まった弟の首の前ににじり寄った。布をゆっくりとはがし、顔をハッキリ見るために鮮血をぬぐいとる。途端、盛綱の表情がみるみる変わっていく。総大将に気取られぬようにはしたが、明らかにそれは「贋首」であったのだ。と、その瞬間、なんと末席に控えていた幼子がその首めがけて走り寄り、「やぁ、父様!」と叫ぶやいなや、その場で腹をかっさばいて果てたのである。

盛綱はとっさにことの次第を理解した。これは弟父子が仕組んだ一世一代の大芝居である、、、と。幼子はすべてを了解していたのだ。だからこそ、贋首と知っていて腹を切った。自らの命を投げ出すことによって父の戦死を総大将に信じ込ませようとしたのである。。。。。ここで、盛綱、この世のものとは思えないほどの形相に変わっていく。この子の死を決して無駄にはできぬ。総大将にはなんとしても弟の戦死を信じ込ませなければならない。動揺をさとられぬように恐ろしい顔で贋首をしばらく凝視し続けたのち、ハッシと振り返り、総大将に向かって「高綱の首に相違ござりませぬ!」と声をふりしぼるようにして言上する。

上機嫌で帰路についた総大将を見送った後に残された盛綱一門、幼子の遺骸を取り囲み全員が泣き崩れる。一門の繁栄の為に命をかけて立派に振る舞い果てた孫が不憫でならない。とりわけ、そのけなげな思いを理解せず、「卑怯者!」となじってしまったことを祖母は悔やんでも悔やみ切れない。。。。孫は決して自決を怖がっていたわけではない。じっと死すべき時を待っていたのだ。悔恨の思い尽きやらぬまま地面にうっぷして泣き崩れるその母の肩に手をやった盛綱が阿修羅のごとき形相で最後の「決め」のポーズを披露する中、「大向こう」の声が場内に響き渡り、満場の感涙の中を幕がスルスルと降りていく。。。。。


小生、もう涙が止まらなかった。なんというか、恥ずかしいことにもう「目汁鼻汁」状態である。最近、ここまで感動したことはなかった。今思い出しても胸がジンとくる。。。。この物語には親子の情愛、兄弟愛、戦国の世の無常、その中での忠と義の葛藤、それらすべてのものが凝縮されている。そのストーリーに泣き、舞台の美しさに泣き、演技の素晴らしさに泣き、そして泣いている会場の空気に共鳴してまた泣いた。いや、舞台そのものに感動しただけではない。初めて歌舞伎を見て感動できている自分に感動したという風に言ったほうがいい。

しかし、なぜ小生のごときズブの素人がここまで感動できたのか。。。思うに、歌舞伎の世界には「日本の美」というものが凝縮されているからではないか。。。解説の力を借りたことを差し引いたとしても、日本人であれば、見ればわかり、わかれば感動するのである。これは「忠臣蔵」でもいま大河ドラマになっている「義経」でも「赤城山」でもみんな同じだろう。我々日本人が感動せざるをえないストーリーというものがたしかにあるのだ。歌舞伎という芸術はまさにそういった題材を様式化された演技と豪華できらびやかな衣装と古典音楽とで見事に再現してくれる。オペラが西洋の総合芸術であるなら、歌舞伎はまさしく本邦ならではの「総合芸術」であると言っていい。そのことが行って見て初めて実感できたのである。まさに「百聞は一見に如かず」である。

そう言えば、小泉総理はよくオペラや歌舞伎やコンサートに出かけるという。小生、別にそれを真似ているわけではないが、時にそういう場所に身を置きに行く総理の気持ちは理解できるような気がする。「芸術」や「芸能」は、生きとし生ける人間模様をザックリと切りとって我々に見せてくれる。とりわけ「古典」と分類される芸術は我々のご先祖様の生き様、死に様の「断面」であると言ってもいい。政治という営みが決して「抽象的な個人」を対象とするものでなく、切れば血が出る「生身の人間」を対象にする営みである以上、我々の先祖がこれまでいったい何に感動し、何に価値を置いて生き、そして死んでいったのかを知っておくことは決して無駄ではない。

そういう意味で、「古典」というのは実に馬鹿にならない世界であるとつくづく思う。DNAのせいだと言ってもいいのだろうか、理屈ではなく情念や感性の領域で知識を持たない我々現代人にもひしひしと伝わってくるものがある。そしてそういう感性や情念は間違いなくいまなお多くの国民にしっかりと共有されている。「芸術は国境を越える」とよく言われる。その言葉はそのまま受け止めるとしても、奥底のところでは「国境を越えられない」ものこそが実は「文化」なのではないか。。。。

政治も経済もその「文化」の基盤の上に成り立っている。とりわけ、人間社会の権力関係を扱っていく政治という営みは数字に置き換えることのできる経済とは違ってより深いところでその国に固有の文化的基盤に根ざしている。ここにはグローバル・スタンダードもアメリカン・スタンダードもなく、あくまでもこの国にしかない歴史と伝統に裏打ちされた「日本流」の民主主義があるのだと観念しておいたほうがいいように思える。そういう意味ではわかったような風をして軽軽に「普遍的価値」などという言葉を使うべきではないのだろう。まずはおのれのご先祖様の行き様、死に様にこそ思いをいたし、そこから政治的な創造力を働かせていくべきなのだろう。。。。あらためてそんなことを思った。

もうひとつ、今回、強く感じたことがある。自分はこれまで、代々の世襲によって歌舞伎を支えている人たちというのは言ってみれば「特権階級」のようなもので、この業界の際立った閉鎖性についてはどちらかというと嫌悪に近い感情を抱いていたのだ。しかし、そういう方法をもってしなければ伝承できないものもあるのではないか、と実際の歌舞伎を見てみて初めてそう思った。。。歌舞伎役者の子に生まれるというのは、傍から見れば「うらやましい」ことなのかもしれぬが、当人にとってはある意味、重苦しい「宿命」であるに違いない。その「宿命」を「使命」であると思い定めることなくしては、到底、苦しい修業を経て芸を極めることなどできないだろう。それを成し遂げた人たちには素直に賞賛を贈りたい、とそう思った。

まぁ、一回歌舞伎を見たくらいであまり偉そうなことを言ってもボロが出るからここらでやめておこう(笑)。とにかく、本当に本当に感動したのである。皆さん、一度は歌舞伎に行ってみましょう!小生もまた時間を作って行ってみたいと思うし、それにとどまらず、これからも努めてジャンルを広げて「社会見学」を続けていきたいと思っているところである。

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