たけしの忙中閑話

眼鏡

小生、あまり知っている人はいないが実は近眼である。高校時代、さほど勉強していたわけではないが、寮の消灯時間が早かったので、漫画を読むのも少しおませな週刊誌を読むにも布団をかぶって懐中電灯を使っていたという苦労をしたせいであろうか、だんだんと視力が落ちてきてついに眼鏡のお世話になることになったのであった。

しかし、だいだいが二枚目であるからしてやはりできるだけ眼鏡をかけたくはない(笑)。したがって、黒板をどうしても見なければならない授業時間、あるいは免許の条件に「眼鏡等」と書いてある車の運転時以外はいつも裸眼のままでいた。別に眼鏡がなければ日常生活に困るほど視力は落ちていなかったからして、大学を出る頃までそういう風にして過ごしていた。

ところが、困る事になったのは、国会議員の秘書になってからである。なにしろ、この仕事はいつも「人の顔」が見えていなければならない。道端で支援者とすれ違ってモノを言わなかったなどということになれば、あとでこっぴどく叱られる。実際にそういうことが何度かあり、これは困った、というわけで仕方なくコンタクトレンズをすることになった。ご存知のようにコンタクトレンズにもハードとソフトの二種類があるのだが、小生にはどうしてもハードレンズが馴染まない。目の中をコロコロと動き回るのがどうにも気持ち悪いのである。そこでソフトを使うことにしたのだが、これがまた面倒なしろものだった。毎日、はずして洗浄、消毒しなければならないのである。不精な自分には不向きだったが、他に方法がない。使っているうちにだんだんとそれにも慣れていった。

しかし、このコンタクトレンズにもやがて進化が訪れる。二週間、目に入れっぱなしでいいという新製品が登場したのである。さっそくそれに変えみた。変えてみるとやはり便利である。朝起きたときに多少、目に張り付いている感じがあるものの、専用の目薬をさせばただちに回復する。二週間経ったら、捨てて新しいものに入れ替えればいいのである。ただし、目に負担をかける使用法であることに変わりはないので、定期的に眼科医に見せて装着状態を点検しなければならない。何でも悪くすると目が酸素不足に陥ってそれを補おうと目の周辺から眼球に向かって血管がどんどん太く大きく伸びてくるのだそうな。。。

そんなこともあまり気にせずに使っていたら、やがて案の定、血管が伸びてきたのだろう、いつも「目が赤いね」と言われるようになってしまった。これはいかん、と思っていた時に次に登場した新製品は一日ごとに捨てていくという「ワン・デイ・コンタクトレンズ」である。これだと、多少、金額が張るものの、毎日毎日、新しいものと入れ替えるので、目にさほど負担がかからない。世の進歩とは実に有り難いものである。ようやく自分にあった製品にめぐりあってこれでもう困ることはない、と思っていたら、この頃になってまた新たな問題が発生した。そうです。お察しのとおり、加齢とともに軽い「老眼」と「乱視」が発生したのである。

「老眼」と言ってもだいたいが近眼なので、眼鏡やコンタクトレンズをしている時だけの話である。裸眼の時は手元が実によく見えるのだ。眼鏡ならはずして見ればいい。しかし、コンタクトレンズはいちいちはずすわけにはいかないので実に不便をきたす。さらにはコンタクトレンズでは乱視の矯正はできないので(一部にそれができるハードレンズも開発されているそうだが)、長い間つけているとどうしても目が疲れてくる。こりゃあもう、この辺であきらめて眼鏡を使うことにするか、と考え始めていた矢先に目に付いたのがレーザー光線を使って行なうという視力回復手術の広告であった。

世の中には「できれば眼鏡やコンタクトなしで過ごしたい」と考えている人が思いのほか多いのだろう。東京でタクシーに乗ると必ずと言っていいほど、この手術を宣伝している医療機関のパンフレットが積まれている。「レーシック」と呼ばれている手術なのだが、簡単に日帰りでき、次の日からバッチリ視力が回復するのだという。パンフレットによればかのタイガー・ウッヅ氏もこの手術を受けてゴルフがめきめき上達したのだそうな。。。。。ほんとかいな、と思いながらもだんだんとその気になってくるから広告というのは実に力のあるものである。待てよ、、失敗したらどうなるのだろう、、、失敗した人はこれまでいないのだろうか、、、いやいや、そうだ。やはりタクシーの中で広告して患者を集めているような医療はまがい物に違いない、、、やっぱりやめておこう、、、、と思っていたところ、なんと親しくしている同僚議員がその手術を受けたという知らせを聞いた。

早速に当人を捕まえて取材をしてみると「岩屋さん、こりゃあ、実にいいよ。簡単に済むし、別に痛くもない。次の日からもう大丈夫だ。保険が効かないから手術代は多少かかるけど、眼鏡もコンタクトもいらなくなると思えばそう高いもんでもないよ。どう、やってみたら? やる気があったら、いいところ紹介するよ。」と言われた。ウウム。。。と唸ってはみたものの、いよいよになるとなかなか踏み切れない。なにせ、パンフレットの解説によれば、「レーシック」とはレーザーで網膜の表面を薄く切り取って削り取り、それをもう一度貼り付けるという手術なのだ。解説を読んでいるだけで「果たしてそんな手術がほんとに毎回、成功するのだろうか」という不安がもたげてくる。まぁ、要するに怖いのである(笑)。

いよいよやってみるか!と覚悟を決めつつあったときに、小生の「持病」とも言っていい「ものもらい」にかかってしまった。目が大きくて飛び出ているせいだろうか、目にばい菌が入りやすく、しょっちゅう目が腫れてしまう。疲れてくるとさらにてきめんである。幸い、国会の中には議員や職員用の診療所があって、週に何回か、眼科の先生が来てくれているので早速にそこへ行ってみてもらった。自分はあんまり医者にかかりたがらないほうなのだが、実は東京女子医大から来てくれているというこの先生、めっぽう美人なのである。したがって目の調子が悪いと、いや、あまり悪くないときでも(笑)、すぐに駆けつけるようにしているのだ(このエッセイは家内が見ていないということを前提に書いているので、賢明な読者の皆さんはくれぐれも告げ口などしないように願い上げたい)。

で、その美人先生のつぶらな瞳に見つめられながら腫れあがった目の膿を針でつついて出してもらっている時に(まるでムードのない状況ではあるが)、小生、思い切って聞いてみたのである。「先生、あのぉ、レーシックっていう手術あるでしょう。僕は近眼なんでコンタクトなんですよ。それでいつも目をいじくっているからばい菌が入りやすいんですかねぇ。。その手術、やってみようと思ってるんですけど、どう思いますぅ。。。」「・・・・岩屋先生、いまおいくつでしたっけ?」「えっ、、、48歳ですけど・・・」「・・・だったら、ほどなく老眼になりますよ。レーシックはできれば若いときにやったほうがいいですね。ある程度の年齢になるとなると近眼はすぐに治っても逆に老眼になりやすくなるんですよ。どうせ、眼鏡をかけなければならなくなるんだったら、いっしょのことでしょう。いっそ眼鏡をおかけになったら? 私、眼鏡の似合う方、好きですよぉ・・・」「は、はい。わかりました」

小生、先生のこの一言でいっぺんに気持ちを切り替えた。「フフフ。そうかぁ。。。眼鏡をかけている人が好きなのかぁ。。。よし、眼鏡にしよっと!」 いつの時代も男とは実に単純なものである。それまでの迷いなどはいっぺんに吹っ飛び、次の日、さっそく眼鏡店に駆け込んでふたつばかりを新調したのである。実は小生、昔から気が向くと眼鏡を作ってきていて、いま手元に5つほどはある。家に居るときやたまの休みのときに時にかけるだけなのだが、眼鏡そのものは決して嫌いではない。ただ、すこぶる暑がりで汗かきなので特に夏などは使い勝手が悪く、これまでかけないできたのである。それに政治家というのは四六時中、町に自分のポスターを張り出しているような稼業なので、眼鏡をかけると「イメージが変わる」と言ってスタッフからはあまり歓迎されない。せっかく作っている写真入の名刺や似顔絵などもやり変えなければならなくなるから、余計に面倒がられてしまう。

しかし、ここらが潮時だろう。コンタクトレンズをはめたまま、老眼鏡を使うというのも馬鹿馬鹿しい話だ。これからは「眼鏡の似合う男」を目指すことにしたいと思い始めている。「眼鏡は顔の一部です」とはよく言ったもので、だいたい、眼鏡というのはいつもかけていなければ似合ってはこない。まずは自分が見慣れないことには人も見慣れないものである。眼鏡をかけた顔を見慣れてくると、今度は眼鏡がないと自分の顔のような気がしなくなるというものらしい。というわけで最近はできるだけ眼鏡をかけるようにしている。そうしてみると当たり前のことだが、目がずいぶんと楽である。やはり目の中に異物を入れているという状態がいかに不自然な状態であったか思い知らされるものがある。乱視も矯正できているからそれだけでも目が疲れない。洗面や着替えの時にいちいちはずさなければいけないのがおっくうだが、まぁ、これにも次第に慣れてくるのだろう。

というわけで、今後は時折、眼鏡姿の小生に出くわされることが増えてくると思うので、あしからずよろしくお願いしておきたい。

先日、眼鏡をかけて一日を過ごした時、移動中の車の中で運転中の秘書君に聞いてみた。「どう? 俺、眼鏡も案外似合うだろう?」「えぇ、、、そうですね。眼鏡かけると悪い人でもいい人に見えるし、そうじゃなくても賢そうに見えますよね、、、あの、あくまでも一般論ですけど、、、」ときた。

こいつはまったく秘書としての修業が足りない!厳しく鍛え直してやろう、と密かに決意したのであった。

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