たけしの忙中閑話

イチロー

言うまでもなく、あの「イチロー」のことである。この人にはもうただただ「脱帽」という以外にない。日本の球界から大リーグへ移籍してからの超人的な活躍ぶりもさることながら、今回のWBC(世界野球選手権)でのひときわ際立つ氏の雄雄しくも凛々しい言動には正直、大いに恐れ入り、そして感服した。

実はこの文章は昨日の「韓国戦」が終わった段階で書いている。いよいよ明日はキューバとの決勝を残すのみだ。ここまできたらなんとしても勝ち抜いて王監督を高々と胴上げしてもらいたいという気持ちでいっぱいなのだが、昨日の韓国戦の大勝利でもう十分に溜飲を下げさせてもらったがゆえに、明日はもう勝っても負けても思う存分楽しんでくれさえすればいいというくらいの落ち着いた気分にもなれている。それほどまでに昨日の勝利は値千金であったわけだが、その日本チームを裂帛の気合いで引っ張ってくれたのが他ならぬイチロー、その人であった。

もともといつもクールで引き締まった求道者のような顔つきの氏ではあるが、今回はそれにまた拍車がかかっていた。いや、それ以上に試合中のミスや敗戦に赤裸々に屈辱感を激しく吐露するなど、これまで一度も見たこともないようなイチローの姿に驚かされもした。王監督以上に日本野球の命運を一身に引き受けているかのような今回の氏の形相を意外に思った人も多かったに違いない。なぜそんなことを言うかというと、イチローは「日本野球を捨てた」という見方もできなくはなかったからだ。渡米後、あっという間に前人未到の大記録を打ち立て、「日本の」と言うよりはもはや「世界の」イチローに登りつめてしまっている彼は、我々にとっていささか遠い存在になりつつあったと言えなくもない。

しかし、「日本野球界の」、いや、もっと率直に言えば「我が国の」名誉を誰よりも重く誰よりも厳しく引き受けていた今回のイチローの姿はまさしく圧巻であった。おそらくは野球ファンばかりでなく、それ以外の多くの日本人の心を一挙に鷲掴みにしたことだろう。我々はそこに明瞭に「日本のイチロー」を見た。あのグラウンドに厳しい表情で立っていたイチローは紛れもなく「日本のイチロー」であった。誰とは言わぬが、本当は出場して欲しかった日本人大リーガーもいただけに、第一人者であるイチローのエントリーそのものが既に大いなる賞賛に値するものだ。

これもまたイチロー一流の「戦略」だったのかもしれないという穿った見方をする人もいるだろう。すこぶる賢明な氏にしてみれば、敢えてこのWBCに出場することの「効用」は案外と計算し尽くされていたことだったかもしれないからだ。しかし、だ。もし仮にそうであったとしても、これほどまでにその「戦略」に集中し、そして狙い通りの成果をあげることができたということ自体、実にあっぱれで見事というほかはない。

小生は今回のイチローの心情をたやすく「愛国心」などという言葉に置き換えようなどとはまったく思っていない。想像するに、それは人一倍誇り高き野球人が自らに課した「挑戦」だったに違いない。既に世界の頂点を極めた男が、今度は自らの尊厳をかけて、自らの力によって祖国の野球を世界一に引き上げてみせたかったということだったのだろう。それは決して「独りよがり」などではないと思う。己がメンバー入りした「日本チーム」が世界の頂点を極めてこそ野球人としての自分の存在をさらに高みに引き上げることができるという思いだったろう。「なんとしても自分の頑張りで日本を世界一にしてみせる!」。その決意こそが今回のイチローの異様とも言っていい「迫力」を形成していた。

果たして明日、キューバに勝って優勝できるかどうかは別にして、この段階でイチローは既に「日本の英雄」であり、文字通りの「ヒーロー」となった。「野球人」という範疇をはるかに越えた存在と化したとまで言うのはちょっと言い過ぎか。。。。いや、「郵政民営化を成し遂げるためには死んでもいい!」と言い放って国民を感動させた先の総選挙での小泉総理と少なくとも同レベルの域に達したと言ってもいいのではないか。笑われそうだが、小生、実はそれほどまでに感動している。

「勝つべきチームが勝たなければいけない。それはずっと我々だと思っていた。」、「同じ相手に三度負けるというのは屈辱以外のなにものでもない。」、「向こう30年間、到底、日本にはかなわないという勝ち方をしなければならない。」、「(韓国選手のウィニングランを目の当たりにして)、、、実に不愉快だ。我が野球人生の最大の屈辱である。」 どれもこれも一見過激とも思える今回のイチローの言辞。そして激しく吼え、憤り、怒りを赤裸々にぶちまけるイチローのパフォーマンスが、日本人の心を激しく揺さぶり、共感させ、希望と勇気を与えてくれた。

世の中は「理屈」ではなく実は「感動」でこそ大きく動いている。「理屈」は文字通り「理性」の領域だが、「感動」は「意気」の領域であり、本当はその「意気」の集積こそが社会を大きく動かす原動力となる。そしてその「意気」を正しき方向へ導き出す仕業こそが実は「政治」という営みの本質的な作用なのだ。正しきもの、美しいものへの「感動」が人々の心を正し、やがてはその集積が世の中全体を正していく。自分はいつもそういう風に了解してきた。

もちろん実際の政治の世界はそれほど単純な奇麗事では済まず、ことが「権力」にまつわる事柄であるだけに、そこには常に「悪魔的な」力も加わって極めて複雑な様相を呈することになる。しかし、スポーツや芸術の世界はもっともっとスッキリしたものだ。だからこそすがすがしい。今回、イチローはそのスポーツという舞台で「真のプロフェッショナル」として最高のパフォーマンスを演じ、最高の感動を生み出してくれた。

むろん彼自身は野球人としての自分の「美意識」を全うしたに過ぎないのだと思う。しかし、今回の彼の言動は結果として「日本人の誇り」に強く訴えかけてくれた。小生、なにもここで浅薄なナショナリズムの話をしようとしているのではない。目下、困難な状況にある「日韓関係」を世界のスポーツの祭典に投影しようなどと筋違いなことを思っているわけでもない。そうではなく、一個の人間が持つ強烈な意志が人々を大きく感化することがあるのだということ、そしてそれを久々に目の当たりにさせてもらったことにただただ感動したという話をしているだけである。あぁ、なんと嬉しいことではないか。。。

一人の野球人として以上に、一人の人間、一個の男としての「イチロー」の素晴らしいファイティングスピリットにここにあらためて心からの敬意を表し、惜しみない賛辞を送りたいと思う。

ありがとう、イチロー。今回の君の雄姿を僕たちはずっと忘れない。
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