たけしの忙中閑話

息子の帰省

昨年の春から佐賀県の全寮制の高校に進学している息子が正月休みで帰って来た。これで、母も含め、家族6人が久々に揃ったことになる。正月はやはり賑やかなほうがいい。

息子をわざわざ佐賀までやったのには理由がある。我が家は三人の子供がいるのだが、上の二人が娘で三番目が息子である。家内は女姉妹で男の子を見ずに育った。上の二人が続けて女だったので、もう男は生まれないのか、、、「女腹なのかな」、と諦めかかっていたときに生まれたのが男の子だったというわけだ。

そのせいか、家内は息子を溺愛する。娘達に言わせれば「明らかな贔屓」であり、「差別」なのだという。それは小生が見ていてもそう思う。息子には大志郎(たいしろう)という名前を付けたのだが、家内はいつも「たいちゃん、たいちゃん」と言ってはベタベタとしている。息子は息子で家内と同じくらいの体格になるまでよく一緒に寝ていたのだからして先が思いやられるものがあった。

このままではマザコン男になり、「大志郎」どころか「小志郎」になってしまうのではないかと心配し始めたのは彼が中三になった頃である。小生も高校から家を離れて男子校で寮生活を送ったが、息子にもぜひあの経験をさせるべきではないかと思い始めた。可愛い子には旅をさせろ、と言うではないか。

しかし、問題は受験である。九州には小生の母校をはじめ、いくつか「寮」を有した有名な私立の進学校があるが、試験に通ってもらわないことには、行かせたくても行かせられない。なんとかおだて上げて受験する気にさせ、かたっぱしから受けさせたところ、幸いに佐賀のとある高校にひっかかったというわけである。

それでも「行こうか行くまいか」と息子は迷っていたらしい。どんな学校なのか小生もこの目で見たかったので、入学前の「学校説明会」なるものに、家内と息子と三人で出かけていった。体育館で校長の話を聞きながら「フムフム、なかなかやる気のある学校ではないか・・・」と親父のほうは感心していたのだったが、ふと横を見ると家内と息子がいつの間にかいなくなっている。

「あれ、どこへ行ったのかいな?」と思って後ろを振り返ってみたら、一番後ろの席に二人で腰掛けてなにやら話し込んでいる。見ると息子の顔が浮かない。「ハハァ、、さては愚図りはじめたな・・・」と咄嗟に思ったら、案の定だった。あとで家内に聞くと息子は「こんな田舎の学校には来たくない」だの「制服がダサイ」だの「携帯電話が持てないとは思わなかった」だのと、ブツブツ文句を言っていたらしい。

どやしつけてやろうか、とも思ったが、、、やめにした。小生も初めて親元を離れて鹿児島へ行ったときは実に心細かったものだ。そのときのことを思い出すと息子の気持ちも理解できる。説明会が終わって三人になったときに「いいなぁ。パパももう一回こういうところで高校生活を送りたいなぁ。。。だって、あれだぜ、友達ができてしまえば毎日が修学旅行状態なんだぜ。あの頃は本当に楽しかったよ。。。」とつぶやくように言ってみたのだが、そんなこんなで少しは息子の気持ちも動いたのか、自宅にたどり着く頃にはほぼ覚悟を決めたようだった。

それから8ヶ月。幸い、「学校はどうだ?」と聞くと決まって「うん。楽しいよ。」という返事が返ってくるようになった。初めての運動会には家族そろって出かけてみたが、すっかり友達もできて寮生活にも慣れてきたように見えたのにはすこぶる安心した。家内は知らない間に学校行事にかこつけて何度も佐賀まで出かけていっているようだが、息子が家を離れることが決まったときに、珍しくさめざめと泣いていたことを思い出すと、家内の気持ちもわからないではない。息子はいつかは巣立っていくのだ。そのうちに落ち着いてくるだろうとほっておくことにした。

久々に帰ってきた息子はさらに身長が伸びていた。1年ほど前に既に並ばれてはいたが、今は見るからに息子のほうが大きい。自分も決して小さいほうでないのだが、まぁ、息子が親父より大きくなるというのは好ましいことではある。自分よりも家内に似ているのか、スラリとしていて、よく見ると悔しいかな、なかなかのハンサムでもある。「あとは勉強すればいいだけだ」というのは家内の弁だ。もちろん、勉強はうんとして欲しいが、小生はむしろそれ以上に寮生活を通じて人間として大きく成長して欲しいと願っている。

自分の高校時代を振り返ってみても、何が自分にプラスになったかと言って、個性豊かで才能豊かな先輩、同僚、後輩にまみれて幾多の刺激を受けたこと以上の「収穫」はなかった。それまで「お山の大将」でいたものが、「上には上がいるなぁ」とつくづく思ったし、「世の中には実にいろいろな才能を持った奴がいるものだ」とも思ったし、朝から晩まで彼らと一緒に家族のように過ごすことによってそれぞれの人間性というものが実によく理解できるようになり、そのことによって「自分の個性とは何か」ということをじっくり考えさせられもした。きっと彼もいま同じような体験をしているだろう。「男の子」が「男」になっていくために、必要な時間だ。

その息子が「パパは毎朝、散歩してんだろ。僕も一緒に行くよ。体がなまるといけないから走るんだ。」と言い出した。暮れに愛犬が死んで以来、朝の散歩の相棒がいなくて寂しかったので、これは「好都合」と一緒に出かけることにした。

こっちは上から下まで白いジャージ。息子は学校のものなのか上下真っ赤なジャージを着ている。途中までは一緒に歩いたのだが、自分はそれでいいとしても息子には物足りなかったらしい。「俺、先に走っていって公園で待ってるよ」と言うから、そうしてもらうことにした。一緒に走りたいところだったが、一昨年、腰の手術をして以来、歩くことには何の障害もないのだが、走るとなるといささか腰に負担がかかる。残念ながらズンズンと遠さかっていく息子の背中を見ながらいつものペースで歩を進めた。

行き先は「別府公園」。昔、進駐軍が駐留していてそのあとは自衛隊が駐屯していた。いまは「天皇在位記念公園」として整備されているが、余計なものを置いていなくて、芝生と樹木とちょっとした小さな池だけしかない、シンプルで広々とした美しい公園だ。自分がふるさとの中で一番気に入っている場所と言っていい。公園内を一周できる遊歩道があるのだが、その道が多くの市民の日々の散歩コースとなっている。

息子に遅れて公園にたどり着いたのだが、彼の姿が見えない。きっとあの道を走っているんだろう。その道を一周するのはちょっと距離があるので、自分はその道よりももうひとつ内側にある遊歩道のほうをゆっくり歩くことにした。しばらく歩いていると、木々の向こうに真っ赤なジャージが小さく動いているのが見える。「おお、思いのほか速いな。そりゃそうだ。たしかサッカーをやってんだろ。あのくらい走れないとな・・・」などと思いながら、時折、樹木の陰に隠れて見えなくなる赤いジャージを目で追いながら歩き続けた。

少し休憩しようと途中に置いてあるベンチに腰掛けて煙草に火をつけた。遠くに見える赤いジャージは止まることなく動き続けている。「ああ、自分にはもうあの青春は戻ってはこないんだなぁ。もう、あんなに速く走る回ることもできなくなった。でも、あすこにはたしかに自分の分身がエネルギーを体いっぱいに充満させてビュンビュンと走っているんだ。」 そう思うとまだ冷気の満ちた公園の中にじっとしていながら、少しずつ気持ちがあったかくなってきた。「よし頑張れ!もっと走れ!もっと悩んでもっと苦しめ!そしてやがて自分の道を見つけたら、力いっぱい走りぬけ!」 思わず赤いジャージに呼びかけたい気持ちにかられた。

死んだ親父も自分のことをそうやって見ていたのかな、とふと思う。そういえば学校が休みになって自分が帰るのをいつも楽しみにしていたなぁ。。。時々、電車や飛行機に乗り遅れたりするもんだから、迎えに来ていた親父を何度も待ちぼうけさせた。あのときはかんかんになって怒っていたなぁ。。。あまりに息子の帰省を心待ちにしていたからだろうな。。。今になってこそあの時の親父の気持ちがよくわかる。

煙草を消して再び歩き始めた。「よぉし、パパももっと頑張るぞ!」。そう思ったら、心なしか足取りも軽い。公園の出口で待っていると、息子が息をハァハァさせながら戻ってきた。「だいぶ調子が戻ってきたよ」と言う。「ほらっ」とタオルを投げるとゴシゴシと額の汗をふく。その時、朝日に照らされた息子の顔がとてもまぶしく見えた。
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