たけしの忙中閑話

愚者の知恵

「イワンの馬鹿」という物語をご存知だろう。そう、かの文豪トルストイの書いた寓話である。

このほど、広島大学大学院教授の町田宗鳳という方がその「イワンの馬鹿」に代表されるトルストイ晩年の寓話集を題材にした本を出された。そのタイトルが「愚者の知恵」という。

著者の紹介によれば、トルストイは人も羨むような名声と財産を手に入れてから、逆に人生の空しさに苦しむようになったのだという。それからトルストイはそれまで拒絶していた「神への信仰」に生きがいを見出すようになった。その信仰の中で見出したものを誰にでもわかる民話の形式に表現しようとしたのが、「イワンの馬鹿」に代表される一連の寓話集だったというわけだ。

「イワンの馬鹿」なら、誰しも子どもの頃に読んだことがあろう。簡単に復習するとこういう話だ。

昔むかし、ある国に裕福な百姓がいて、その百姓に三人の息子と一人の娘がいた。長男セミヨンは軍人として成功し、次男のタラスは商人として才覚を発揮しているが、三男のイワンはバカなほどお人よしで、特段の才能も持ち合わせていない。末っ子のマラーニャは聾唖者で、お嫁にも行かずにイワンと骨身を惜しまず働き続けるという一家の構成である。

長男のセミヨンは王様の覚えもよく、軍人として高い地位につき、それなりの報酬も得ているが、夫人に浪費癖があっていつも金に苦労している。セミヨンはついに困り果てて父親に「土地の三分の一を分けてくれ」と無心するのだが、父親は「おまえは家のために何にも尽くしていない。イワンやマラーニャが怒るだろう」とはねかえした。

ところが、それを聞いたイワンは「いいとも、あげてください」といとも簡単に返事をしてしまう。

次は次男である。兄がまんまと財産を譲り受けたことを耳にしたタラスは父親に「俺には穀物の半分と牡馬をくれ」という無心をする。父親は「お前も家のために何の役にも立っていない。いま家にあるものはみんなイワンが汗水たらして稼いだのだ。イワンやマラーニャを踏みつけにはできない」と断固してはねつけるのだが、まったく欲のないイワンはまたしても「いいとも、すぐに手綱をつけてあげよう」と返事をするのである。

「イワンの馬鹿」のおかげで、兄弟同士が少しも仲たがいをしないのに業を煮やしたのが、この光景をじっと見ていた「悪魔」である。悪魔というのは、人間がいがみ合えばいがみ合うほど幸せを感じるようにできているからだ。そこで、おもしろくない悪魔は、弟子である三人の小悪魔たちを呼びつけて、悪事をけしかける。

小悪魔たちは相談をかわし、兄弟たちを徹底的に貧乏にしてから、親の財産を奪い合わせるというプランを練り上げ、すぐさま実行に移し始めた。

長男のセミヨンと次男のタラスはもともとが欲深いので簡単に小悪魔の計略にひっかかり、たちまちにして窮地に追い込まれるのだが、問題はイワンである。イワンには欲というものがなく、どんな目にあっても、文句ひとつ言わずに黙々と仕事をこなしていくので、なかなかうまく事が運ばないのだ。

小悪魔がどんな嫌がらせをしても、イワンはまったくたじろがない。悪魔の仕業で腹痛を患ってもウンウン言いながらどんどんと畑を耕して行く。とうとう小悪魔は地中に潜んでいたところをイワンの振り下ろした鋤に突き刺されて殺されそうになり、ついに観念して「助けてください。なんでも願い事を聞きますから逃がしてください」と懇願するのだが、ここでも欲のないイワンは、「じゃ、腹痛を治してくれ」というだけで終わらせてしまう。

このあと、二番目、三番目の小悪魔もやってきてイワンを困らせようとするのだが、てんで効き目がない。それどころか、最後はイワンに命を助けてもらう代わりに自分のほうから申し出て、簡単に「軍隊」と「金貨」を作り出す方法をイワンに教えてしまう。

ところがイワンにはどこまでも欲がない。それを知って利用したのは二人の兄のほうで、それぞれ大軍隊と金貨をしこたま得て王国を築いてしまう。イワン自身も、小悪魔からもらった「病気を治す木の根っこ」を宮殿に持ち込んだところ、王女様の病気がすぐに治ったことで国王に気に入られ、なりたくないのにあとを継がされて王様になってしまうという有り様だ。

これを見てカンカンに怒ったのが老悪魔だ。「もう許せん!」というわけで、あの手この手を尽くしてセミヨンとタラスの王国を滅ぼし、今度はイワンの王国を滅ぼそうとするのだが、王様がバカなら、国民もバカになっていて、老悪魔の誘いにまったく乗ってこない。とうとう痺れを切らして隣の国から戦争をしかけさせるのだが、イワン王国はまったくといっていいほど相手にしないので、隣国もついには戦意を喪失して退散してしまう。

「いよいよ最後の手段だ」ということで老悪魔は金貨をばら撒いて国民を抱き込もうとするが、王様同様、汗水たらして作ったものを物々交換して暮らしているイワン王国の国民はその金貨にも興味がない。しかも、この国では手にタコができている者しか食事をする権利がないので、頭脳労働専門の老悪魔はついには衰弱してしまい、「神様のために恵んでくれと言うのなら恵んであげる」という、もっとも聞きたくない言葉を聞かされ、ほうほうの体で逃げ帰ってしまうのである。結果、イワン王国にはたくさんの人々が幸せを求めて集まってきて栄華を極める。めでたし、めでたし、というわけだ。

これが「イワンの馬鹿」のストーリーのあらましだ。ストーリーそのものに説得力があるので、何も説教がましいことを付け足す必要もあるまい。途中、かつての日本のバブルや目下のアメリカ発の金融恐慌のことなどを連想してしまうのもこのご時勢ゆえか。

ここでいう「バカ」は言うまでもなく差別用語ではない。自我意識が弱く、計らいがなく、欲がない人のことだ。黙々と真面目に働き、万事、神様にお任せでいつも心が清清しい人のことだ。

しかし、「神様はバカが大好き」なのだ。足るを知り、欲張りもせず、焦りもせず、今を丁寧に生きる人。そんな人こそ最終的に一番大きく神の恩恵を受けることになる。文豪トルストイが人生の最後にこの寓話をして語らしめようとしたことはまさにそのことに尽きているのだろう。

そういえば、最近、似たような内容の本をもう一冊読んだ。こちらは筑波大学名誉教授の村上和雄氏によるもので、題名を「アホは神の望み」という。村上氏は遺伝子の専門家であられるが、その言わんとするところ、トルストイ先生と寸分違わない。要はアホであればあるほど、よりよき遺伝子のスイッチがオンになって人間は幸福になれる、というお話だ。

我ら凡夫はどうしても欲に囚われ、煩悩に苛まされる。それがために不幸を背負い込んでいることになかなか気づかない。本当はイワンのような「愚者」に成り切ってこそ持てる可能性を最大限に引き出せるのだ。知恵ある生き方とは本来はそういうものなのだろう。両著作はそのことを諭してくれている。

小生もこれからは「イワヤの馬鹿」と呼ばれたいな。

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