たけしの忙中閑話

次女の入学式

しばらく閑話を書いていなかった。やっとその気になって思いつくままキーボードを叩いている。昨年秋からずっと解散風が吹いたり止んだりして、落ち着く「閑」がなかったのだから、それこそ「閑話」なぞ書きようもなかったわけだが、それもまた我ながら「なんと余裕のないことか」と反省している次第だ。

よく言われることだが、「いそがしい」というのは「心を亡くす」と漢字で書く。実際に心を亡くすというところまでいっていたわけではないが、親分がなかなかに人気のよろしいことや(笑)、選挙区事情も決して容易ではないことなど、いろいろと心配事が多くて心落ち着かなかったことは事実だ。まぁ、修行と覚悟が足らん、ということに尽きる。

この間、東京では家族が一人増えた。長女に加えて次女がこの春から東京の大学に進学し、今はなんと娘二人と一緒に宿舎住まいをしている。こう言うと同僚からはすぐに「あんた、うらやましいなぁ」という反応が返ってくる。「今時、親父と一緒に住んでくれる娘なんかおらんぜ。それも二人だからな。」というわけだが、娘たちも何も喜び勇んで親父と同居したわけではなかろう。とにかく、下宿代を浮かせようという、この間、家内が密かに進めてきた作戦にまんまとひっかかっただけというのが真相だ。

しかし、それでも、言われてみると「そうなのかなぁ」とは思う。やがて娘たちは巣立っていく。いや、巣立っていってもらわなければ困る(笑)。そうしてみると、この娘たちとの同居生活も果たしていつまで続くかわからぬことだ。そもそも次の選挙に当選しなければ宿舎からも議員会館からも途端に追い出されてしまうのだからして、今こうやって娘たちと同じ部屋に寝起きできている時間はきっと神様からの贈り物なのだろう。有難いことだと感謝しなければいけない。そう思い直している。

先日、その次女の大学の入学式に行ってみた。実は小生、自分の入学式には出ていない。当時、早稲田は第二志望で、あくまでも東大に行くつもりだったので、すぐに「休学届け」を出して予備校に通っていたからだ。いま思うとそれが失敗だった。だいたい、「休学」などして「保険をかけとこう」という根性自体がよろしくない。あそこはやはり「素浪人」でいくべきだった。案の定、その後もさして勉強に熱が入ったわけでもなく、次の年も東大には不合格となり、結果、早稲田に二年生から行くことになった。だから入学式には出ていない。

卒業式にも出なかった。これはその当時、既に鳩山邦夫先生の書生のようなことをやっていて、仕事が忙しくて行けなかったのだ。大学時代もそれほど勉強した記憶はないので、果たして卒業できているかどうか心配ではあった。卒業式が終わってしばらくして「せめて卒業証書だけはもらっておこう」と大学の事務室にふらりと寄ったのだったが、出てきた職員さんが「ちょっと待って、、、あれれ、岩屋君は卒業できてたかしら?」などと言うものだから、大いに冷や汗をかいたことを昨日のことのように覚えている。実はからかわれただけだったのだが、まぁ、そんなわけで卒業式にも出ていない。

大学は自分にとって正直、つまらないところだった。誤解なきように言っておくが、早稲田だから、というのではない。早稲田に学べたことは結果、自分にとってはとてもよかったと思っている。しかし、小生、そもそもマンモス大学というのが基本的に好きではない。学校というのは小さければ小さいほど、同級生や先生の顔が身近に大きく見えれば見えるほどいいのだと自分は思っている。ほとんどが寮生で全員が家族みたいな濃厚な高校生活を送ったせいだろうか、大学ではすべてのことが「稀薄」に感じられた。だから、階段状になっている大教室みたいなところでの講義が中心となるマンモス大学のマンモス学部での日々には正直、あまり愉快な想い出は無い。

面白くなったのは後半からだ。ぼんやりと二年ばかりを過ごしてしまったある時、「こんなことではいかん!」と強く思うことがあった。あることをきっかけに、「俺は政治家になるのだ」、「政治家になって歴史に名を残すような仕事を成し遂げるのだ」という高校時代からの夢が俄然、よみがえってきて、そこから「雄弁会」という弁論部に中途参加してみたり、遅ればせながら政治思想書を読み漁ってみたり、選挙のアルバイトに出かけるなどして、その縁で代議士の書生になってみたりと、後半は充実した「学外活動」によってなんとか大学生活を締めくくることができたのだった。

話が思わず脇道に逸れてしまったが、まぁそんなわけだから、娘たちには以前から「できるだけ小さい学校がいいぞ」、「大学より小学がいいぞ」と言い続けてきた。それが効いたのかどうか知らぬが、それぞれミッション系のそこそこの規模の学校を選んで進学している。

「そこそこの規模」とはいえ、総合大学ともなれば入学式の人数もかなりのものに膨れ上がる。学校に着いてみると既にキャンパスは新入生と父兄とでごったがえしていた。式典の会場はキャンパス内の大講堂であったが、結局、そこに入りきれない父兄は締め出されて同じ構内にあるチャペルで中継画面を見ることになった。

賛美歌が合唱され、祈りが捧げられ、理事長式辞や学校長式辞、そして来賓挨拶が続く。そのあと校歌や応援歌が披露され、また賛美歌と祈りが続いていく。聞いていてなんだか自分が入学するようにワクワクした気分になってきた。人生に一度きりの大学の入学式にはやっぱり行っておけばよかった、とふと思ったりしたが、今更言っても詮無い話だ。この次女の入学式をその代わりにしようと密かに思った。

式典も終わり、次女とチャペルの前で待ち合わせた。人混みを掻き分けて次女がやってくる。「さぞ感激しているのだろう」と思って感想を聞いてみたら、「パパ、前が見えんかったけん、私ずっと寝ちょった」などと方言丸出しで実に興醒めなことを言う。まぁ、当事者となるとそんなものか。親が自分の学生時代を懐かしがって勝手に感慨に浸っていただけかもしれぬ。

キャンパス内をひとしきりブラブラしたあと、満開の桜の木の下で次女と写真に納まった。娘の入学式であり、数十年ぶりのパパの「入学式」の記念写真でもある。構内にはこの学校の卒業生だというペギー葉山さんの代表曲「学生時代」がずっと流されている。目下、エグザイルとやらに夢中になっている次女がこんな昔の曲を知る由もなかろうが、たとえ時代が変われども「学生時代」の実質にそう変わりはあるまい。これからいろんなことがあり、いろんな出会いがあるだろう。勉強はそこそこでかまいはしないが、どうか良き友、良き師に恵まれて充実した学生生活を送って欲しいと心から願った。

次女は一時期、「大学には行かない」と言い出したことがある。「行きたくないんなら行かなくてもかまわんよ、パパは。で、お前は何をしたいんだい?」と聞くといかにもあやふやな返事だった。「やりたいことがはっきりあるんならいい。しかし、そうでないんだったら悪いことは言わないから大学に行ってみなさい。もっと大きくてもっと広い世界を見ることだ。それからじっくりとやりたいこと決めたらいい」。たしかそんなことを言ったと思う。そんなやり取りがあっただけに、次女の入学式に参加できたことは自分にとっては格別に嬉しいことだった。

目下、娘たちに特段の注文はない。当たり前のことながら、「学校にはきちんと行きなさい」、「できるだけ規則正しい生活をしなさい」、「掃除と洗濯だけはまめにやりなさい」ということだけは言っている。自分の学生時代を振り返れば偉そうなことは言えないのではあるが、、、まぁ、そこはパパ、だからね。とにかく、仲良く頑張っていこうぜい!

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