岩屋たけしの履歴書

政治家への道のり

鳩山事務所を退職して地元別府に帰った私は大分県議会議員選挙出馬に向けての準備を始めました。28歳のときでした。地元では以前の父の後援会もほとんど消えてしまい、一からのスタートでした。私は「明日の郷土を語る会」と称した集会を各地区の公民館を借りながら開催いたしました。また、顔を知ってもらうためにいろんな忘年会や新年会にも無理やり押しかけては挨拶してまわりました。「若すぎる。。やめたほうがいい」という意見が多い中、一人、二人と支持者が増えていきました。

明日の郷土を語る会での写真1
明日の郷土を語る会で政策を訴える

私を支えたのは恩師である鳩山邦夫のことばでした。「選挙ははじめに候補者の意思ありきだ。やると決めたら誰がなんと言おうと、どんな障害があっても、たった一人でもやりとげる覚悟がなくてはだめだ。」 私は何度か弱気になったときはこの言葉を思い出し、自らを励まして市内を廻り続けました。そして結成された後援会「岩屋たけしとはばたく会」の結成式には700名の方が参加してくれました。

県議会議員選挙に向けた講演会事務所開きの模様
県議会議員選挙に向けた後援会事務所開き

いよいよ県議会議員選挙がスタートしました。期間中には鳩山代議士も東京からわざわざ応援にかけつけてくれました。選挙戦最終日、私は2000人の支持者の前で最後の声を振り絞り演説して9日間を戦いを終えました。

投票日の夜、自宅で開票を見守っていた私に当選確実が知らされました。両親と思わず顔を見合わせました。しばらく信じられなかった。そのうち両親の目からも、私の目からも涙があふれだしました。この選挙は故郷の別府を離れてから13年間の青春の総決算であった。「長かったな…」私は万感の思いでつぶやきました。

県議選での遊説、応援に来てくださった鳩山邦夫代議士とともに
県議選での遊説、右は応援にかけつけていただいた鳩山邦夫代議士

初の県議会に臨む
当選後、初の県議会に臨む

初の県議会に臨む

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