岩屋たけしのメッセージ

令和元年12月08日
【忙中閑話】 「シィージ」

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少し早めながらこの一年を振り返ってみたい。

なんといっても一番大きなできごとは九月までの約一年間、防衛大臣という重たい役目を務めさせていただいたことだ。こういう機会を与えられたのも、これまで長きに亘って温かいご支援とご激励をいただいた多くの支援者の皆様のお陰であり、あらためて心から感謝申し上げたい。

防衛省での一年間は次から次へと起こる懸案への対応に追われ続けた一年であり、気の休まる暇のない日々ではあったが、多くの職員、自衛官とともに襲い来る難題と格闘したこの一年は、離任式での挨拶でも述べたとおり、これまでの我が政治人生における最良の日々であった。未熟な大臣を懸命に支えてくれた諸氏全員にただただ感謝するばかりである。

在任中には平成から令和への御代変わりが行われ、新しい元号を決定する閣議に参席することができたばかりでなく、それにともなう幾多の宮中行事に閣僚として参列する栄誉にも恵まれた。望んだとて決して得られない機会であり、これまた天に感謝する以外にない。

一方、家庭においては五月に次女の、十一月には長男の結婚式を挙げる幸いに恵まれた。次女は三人兄弟の中では常にリーダー役だった活発な子であり、そこでついたあだ名が「トップ・ジージョ」であったが、文字通り、三人のトップを切って結婚式を挙げることとなった。

結婚式当日、ウェディングドレスにヴェール姿の娘と「ヴァージンロード」を歩いていく間に、思わずこみ上げてくるものがあって、係の人から事前に説明があった手順を失念し、新郎と握手を交わすことなく席に戻ろうとしたのを呼び戻されるという失態を演じてしまった。決して婿に対して他意があったわけではない。

新郎に手を引かれて祭壇の階段を一歩一歩上がっていく次女の姿は、我が娘ながら、、実に美しい、と感じた。「ああ、ついに巣立っていくんだな。よその家の人になるんだな。遠くに行っちゃうんだな。。」 そう思うと涙があふれてきた。これまで山ほど人様の結婚披露宴に出席し、わかったような挨拶をしてきたが、娘を嫁に出す父親の心境が初めてわかったような気がした。今はただ、二人の前途に幸あれと祈るばかりである。

一方、長男のほうは、二年前に当時まだ学生であった嫁と入籍を済ませ新婚生活をスタートさせていたものの、その段階で新しい命を授かっていたので、嫁の卒業と孫の誕生、そして成長を待ってこの秋に晴れて式を挙げたという次第であった。

息子家族は当初、息子の勤務先のある神奈川県で暮らしていたが、息子の職場が新宿に変わったことを契機に赤坂の小生の議員宿舎に親子三人で引っ越してきた。当方にとっては願ったり叶ったりであったが、新婚早々に舅と同居することとなる嫁には申し訳ないと思いながらも、孫と暮らすことのできる喜びを素直にかみしめている毎日である。

「孫が可愛い」というのは人の話には聞いてはいたが、こればかりは経験してみないとわからない。とりわけ、孫娘となればなおさらだ。「目に入れても痛くない」という言葉は、まさに「実感」そのものである。我が子たちの成長の過程はいつの間にか忘却の彼方となっているが、目の前にいる孫の成長ぶりは一日一日、手に取るようにわかり、それがまたたまらなく愛おしい。

孫娘の「朱(あかね)ちゃん」は一歳の誕生日を越えたあたりから、少しずつ言葉らしきものを発するようになり、やがて「パパ」「ママ」というのは何とか言えるようになった。次は小生のことをどう呼んでもらうかだが、これはもう「ジィージ」しかなかろうということになり、早く覚えてもらおうと孫の顔を見るなり自分の顔を指さして「ジィージ」「ジィージ」と繰り返しているうちに、ようやく最近になって「ジィージ」と呼んでもらえるようになった。

言葉を覚えたての孫の頭に「ジィージ」という呼称を定着させるためには、孫から見た家族の呼称が常に一定でなければならぬ。息子は子どもの頃から小生のことを「パパ」と呼んできたが、それはもう使えない。家の中に「パパ」が二人もいれば孫が混乱するからだ。解決策はただひとつ。家族の全員が小生のことを「ジィージ」と呼ぶことだ。以来、息子からも嫁からも娘からも、はたまた家内からも「ジィージ」と呼ばれることとなり、これには正直、抵抗を覚えている。まぁ、家内も「バァーバ」だから仕方ないか。。

というわけで、目下、「ジィージ」にとっての最大の願いは長女に良きご縁があることである。心当たりのある方にはぜひご加勢をいただきたくお願い申し上げたい。

公私にわたって多くの恵みと学びをいただいたこの一年に感謝しつつ、決意も新たに新しい年を迎えたいと思っている。