忙中閑話

忙中閑話「インターン」

2016.03.28

どうして言葉につまったのか。。先日の「自民党春季学生インターンシップ」閉校式での挨拶の途中だった。学生一人一人の感想を聞き、学院長としての最後の仕事となる「講評」を述べている間に何かが込みあげて一瞬、言葉が続かなくなってしまった。

 

自民党の中央政治大学院では毎年、この時期に地方の大学生を対象に10日間の集中学生インターンシップをおこなっている。今年は全国から23名の学生さんたちが参加してくれた。私にとっては学院長になって初めての体験だ。期間中、学生たちがインターンのプログラムを十分に堪能してくれるように、事故や怪我がないように。。そればかりを考えながら過ごした10日間だった。

 

集まった学生たちは言うまでもなく、お互い、初対面。あとから聞いたところによると開校式前の最初の昼食会では、誰とて口をきく者もなく、まるで「お通夜」のような時間だったらしい。それが日を追うごとに変わっていった。代々木のオリンピックセンターを宿舎にしてあたかも「合宿」のような環境の中で過ごしてもらったからでもあるだろう。寝食をともにすれば知らない者どうしも急速に親しくなる。そんなわけで、日を重ねるごとに彼らが「仲間」になっていく様子が伝わってきて安堵したものだった。

 

10日間のプログラムは極めて多岐にわたっていた。「インターン」の主たる目的は職業体験にあるのだからして、実務の基本は配属された議員事務所での事務手伝いということだったのだけれども、その合間に実に盛り沢山のメニューが用意されていた。党本部見学に始まって、国会見学。毎朝8時からの部会への出席。委員会や本会議の傍聴。「党大会」への出席。さらには事務所来訪者への応接。そればかりではない。東京周辺の事務所に配属された学生は地元事務所にも同行し、「朝立ち」や「ビラ配り」まで体験したと聞いた。

 

それらに加えて、安倍総理、麻生副総理、谷垣幹事長、河野行革大臣との懇談。それぞれに記念写真を撮ってもらい、握手を交わしてもらった。さらに、小泉進次郎農林部会長をはじめ、連日のように党の役職者による講座も受けてもらった。そして、最終日の総理官邸見学。日本の政治の中枢に足を踏み入れてもらったことは、きっと学生たちにとっても忘れ難い想い出になったことと思う。

 

「インターン」は何も政治家養成を目的としているわけではない。学生たちの目標は実にさまざまだった。それでいい。たとえ短い期間であっても、政治の現場を自分の目で見て、考え、何かを感じ取ってくれればいい。むろん、10日間という時間はかれらの長い人生においては一個の「点」でしかない。しかし、それがいつか他の「点」とつながって意味を為すことがきっとある。今回、かれらが刻んだ「点」が、せめて、これからの彼らの人生においてひときわ大きな光を放つ点であって欲しい。そう願うばかりだった。

 

そうだ。そんな思いを伝えようとしたところで、ぐっと言葉につまったのだった。僅か10日間を共にしたに過ぎないのに、学生たちがたまらなく愛おしく思えたのだ。まさか、自分がこれほどセンチな性格だとは思わなんだ。時あたかも卒業式の季節でもあったが、このくらいの経験で胸をつまらせたりするのは、大袈裟に過ぎるだろう。それに比べれば、数年間を共に過ごした学生たちを送り出す学校の先生たちの気持ちはいかばかりかだろう。。そう思ったりもした。 その時の自分の気持ちは、どうにもうまく説明がつかない。

 

思い当たるふしはある。。そう。この10日間、自分は彼らの姿に紛れもなく自らの青春時代を投影していた。振り返ってみれば、あの頃は屈託がなかった。若さが故の悩みもあるにはあったが、一方で夢と希望に満ち溢れてもいた。自ら限ることさえしなければ、可能性は無限に開けていた。あれからずいぶんと時が経ち、時に、人生の残り時間を数えながら思案にふけることもある自分にとっては、学生たちの初々しい仕草、緊張した面持ち、好奇心に満ちた瞳、弾けるような笑い声、、それらのすべてがとても懐かしく、そして、愛おしく感じられていた。

 

人は誰しも、かけがえのない、そして、取り返しのつかない人生を生きている。あのようにもなりたい、このようにもなりたいと思い描いているうちに時間だけは容赦なく過ぎ去っていく。何かを選ぶということは何かを捨てるということだ。その繰り返しの結果として今の自分がある。満足感もあれば、忸怩たる思いもある。いや、それが常に交錯していると言ったほうが真実に近い。そんな中、縁あって彼らに出会った。もう一度、あの頃に戻りたい。いや、戻れるはずもない。だからこそ、学生たちには思いどうりの人生を悔いなく生きていって欲しい。毎日、彼らの顔を見るたびにそう思っていた。最後の最後にそんな思いが込み上げた。。そう説明するしかない。

 

もとより、型どおりの講評をすることはすまいと思っていた。学生一人が一人がそれぞれの思いに沿って、かけがえのない体験をしたのだ。学生一人一人の個性と配属された事務所の個性によってその内容は自ずから違ったものになる。それぞれの胸中を他人の自分がはかりしれるはずもないのだから、わからずにわかったようなことを言う必要もない。彼ら一人一人が自ら述べた感想こそが最高の「講評」になる。最初からそう思っていたから、学院長として最後に彼らにいくつかの言葉を贈ることにした。

それは、「Connecting the dots.」 そして、「Follow your heart.」という言葉だ。それぞれ、 2005年にSteve JobsがStanford大学の卒業式でおこなったスピーチの冒頭に出てくる。人生は「dot」、すなわち、「点」の連続だ。人は自らの思いに沿って行動し、人生にあまたの「点」を打っていく。その段階では、そこに脈絡があるとは決して気付きもしない。しかし、「my heart」を「follow」して生きていく限り、dot(点)はいつか必ずつながっていく。その時、初めてこれまでやってきたことの意味がわかる。だからこそ、「一つ一つの点をしっかりと打っていきなさい」。Jobsが言いたかったことは間違いなく、そういうことだったと自分は思う。

 

そのスピーチの最後でJobsは言う。「Stay hungry」「Stay foolish」と。意訳するなれば、「満足するな」、「いい気になるな」ということだろう。真面目に、真剣に魂を燃やして生きていく限り、「これでいい」などということは決してない。「人間、死ぬまで、『これでいい』なんて思うなよ」、「わかったようなつもりになっていい気になるなよ」ということだ。Jobsはこのスピーチの6年後に死を迎えることになる。世界の誰もが認める成功者、功なり名を遂げた男が、死を目前にして言ったこの言葉は、真実の言葉であるに違いない。

 

人は自分の思いに忠実に生きていけばいい。だけれども、たとえそうではあっても、人生は決して思いどおりにはいかないものだ。いつも自分が思う場所にいられるわけではなく、いつも光が当たっているわけではない。長く生きていれば、誰もが身にしみることだ。そこで、もうひとつ彼らに贈ったのが、ノートルダム聖心女学院の理事長、渡辺和子氏による「Bloom where God has planted you.」という言葉だ。「神様があなたを植えたところで花を咲かせなさい」。そう。「置かれたところで咲きなさい」だ。「花を咲かせることができない時には、下に下にとしっかり根をはりなさい。そうしてこそ、いつかきっと大きな花が咲かせることができる」。彼女の教えはそう続いていく。

 

学生たちにそんなことを伝えながら、最後の最後に気付いたことがあった。そう。彼らに言い聞かせようとしていた言葉は、実のところ、自分自身に言い聞かせようとした言葉だったということだ。

 

してみれば、「インターン」を受けたのは、誰でもない。ほかならぬ自分だったということだろう。学院長としての初仕事は、学院長としてのインターンを受けることだった。機会を与えてくれた学生たち、そして大学院事務局のスタッフ諸氏に感謝するほかはない。心からお礼を申し上げたい。どうもありがとう。お互い、倦むことなく頑張っていこう。

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