忙中閑話

忙中閑話「ポリープ」

2011.02.01

ポリープとは病理学的に粘膜に覆われた管腔臓器に発生する隆起性病変の総称である、などと医者のような話から始めているが、実はそのポリープが小生にもできてしまったのだ。昨年の春、健康診断でいままで一度も体験したことのなかった腸カメラをやってみたところ、小指の先を半分にした程度のものが一個発見された。最初に言っておくが、こうやって堂々と告白しているのだからして病理検査の結果は言うまでもなく「良性」である。医師からは「まぁ、腸のポリープは成長が遅いですが、できれば一年以内に採ったほうがいいでしょうね」と言われ、いつにしようかと思案していたのだがなかなか決心できずとうとう越年した。国会が始まれば少なくとも半年は拘束される。目下、予断を許さない政治状況だからして、そのまま解散総選挙にならないとも限らない。愚図愚図していても仕方がないとついに思い定め、本日、除去手術を受けるに至った。

 

なぜ腸カメラをやったことがなかったかと言えば、これは説明の必要もなかろう、施術を受けている時の己の姿を想像するだに我がダンディズムが許さなかったからだ。胃カメラとて同様のことが言えるが、あれはまだ「上」からだからいい。「下」からとなるとどうもいけない。なんと言えばいいのか。。。なんだか「操」を奪われるような気がしてどうしても気が進まなかったというのが本当のところだ。が、実際に体験してみるとそれほど気恥ずかしいものでもなかった。決して「心地よい」とまでは言わないが、前日に下剤を山ほど飲まされて十数回もトイレに行くことさえ除けば、「あれなら時々やってみてもいいかな」などと今では思っている。

 

病院は都内の某著名病院だったが、ここへ行ってみて驚いたのは、受付に始まり、診察、薬の受け渡し、支払いに至るまでの一連の行程が見事なまでにIT化されていたことだ。受付を済ませると携帯電話のような端末機を渡され、診察の時間が迫るとそれがブルブルと震えて教えてくれる。そこに示された番号の部屋の前まで行って座っていると、さほど待たされずに診察を受けることができた。「待ち時間3時間で診療3分」が大病院では当たり前と聞かされていたので半日くらいはつぶれても仕方ないと半ば覚悟していのだが、驚くほどにスムーズな進行だった。まぁそれはいいが、支払いまでが機械相手というのはちょいといかがなものか。「お大事に。お気をつけてお帰りください」と機械音で言われたりすると、なんだか自動販売機で「医療」を買ったような気分になっていささか興醒めるものがある。

 

考えてみれば、大病院というのは巨大な工場のようなものだ。毎日、毎日、ロビーをいっぱいに埋めつくすほどの人が押し寄せてくる。その人たちを手際よく裁き、できるだけ短時間にしかるべく診療を施してなおかつ患者の満足度を高めるためには、あたかも「工場」のように作業手順をシステム化することが必要なのだろう。大都市の大病院ともなれば、都内はもとより全国各地から連日大勢の患者さんたちがやってくる。たとえ個人病院からの「紹介状」があったとしても、担当医師と患者は所詮は見知らぬ者どうし。一度だけの体面に終わるケースも少なくなかろう。だとすれば、あたかもベルトコンベアーに乗って次から次へと運ばれてくるそれぞれ異なった形状の新しい部品を仕分けしていくような作業であって、それに従事する医師も看護師も職員も実に骨の折れる仕事であることがあらためて実感された。

 

そうしてみると、我が郷里の病院や医院で日ごろ目にしている光景というのは、実にほのぼのとしたものだ。医師と患者はほとんどが旧知の間柄。たいていの場合、医師は患者さんのこれまでの病歴はもとより、職業から家族構成まで知っている。ロビーで待っている患者さんたちも隣近所の人が多くて、「ねぇ、Aさん最近見ないけど、具合いが悪いんじゃないかしら」などという、よく落語で聞くような話が当たり前のように飛び交う。医師のほうも心得たものだ。「ばあちゃん、爺さんの腰の具合いはどうかな。今度連れておいで」、「社長さん、このあいだお孫さんが生まれたそうやなぁ。かわいかろうねぇ」。そんなやり取りを通じて疾患に苦しむ患者の緊張した心も次第にほどかれ、時に痛みまでが和らいでいく。

 

どっちがいいなどと言っているわけではない。身近に身の上相談までできる町の個人病院と、最先端の技術と施設で高度な医療を施す中核病院があってこそ日本の医療が支えられている。しかも、一枚の保険証で両方を行き来することができるのだ。現行の医療制度にもたしかに課題は多い。が、日本のこの国民皆保険制度は世界に冠たるものだと言っていい。問題は、少子高齢化が進む中、こうやって毎日、毎日、生み出されていく巨額の医療費をこれからどうやって賄っていくかだ。今回の摘出手術も費用は2万2千円。高齢者ならば費用はその3分の1になる。有難いことではないか。米国であったならばきっと目の玉が飛び出ていよう。早く安定的な財源を用意して、この医療制度をしかと守っていかなければならない。あらためてそのことを思った。

 

というわけで、今日から1週間は「禁酒」である。これほど長きにわたって(というほどでもないか)禁酒するのは久しぶりのことだ。4年前に腰の手術をして以来だ。まぁ、あの時は入院していたから飲むに飲めなかったのであるが、今回は自らの意志で貫徹しなければならない。できるかな?いや、やらなければならない。腰の手術の時は医者の言うことを聞かずに早期退院して結局、翌日に病院に逆戻りするという失態を演じてしまった。今度は良い子にしていようと決意している。考えてみればよい機会だ。「休肝日」などまったくない毎日だっただけに、ここらで肝臓さんにも一休みしてもらおう。禁酒が体や精神にどういう影響を及ぼすか、よい実験だ。夜、家に帰って勉強できるのもいい。うむ。生活ペースを見直してみるいい機会かもしれない。食事制限で痩せるかもしれないし。フフフ。「神様」は決して無駄なことはしないという。そうだ。神様が「一個のポリープ」を通して警告を与えてくれたのだ。もう「アルチュイート」からも卒業だっ!

 

そうして、、、、やがてその警告を忘れてしまうのが「人間」というあさはかな生き物なのであった。

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