忙中閑話

忙中閑話「愛犬リラ」

2003.01.03

「愛犬」などというのは本来、一人称で使うべき言葉でないことは承知しているが、この際は敢えて使うことにする。それほどまでに「リラ」の存在は小生の生活になくてはならないパートナーとなっている。

 

我が家には子どものからいつも犬がいた。秋田犬からスピッツからチン、ボクサーにドーベルマンまで、歴代の「愛犬」との想い出は子どもの頃の記憶のかなりの部分を占めている。犬小屋の中で犬といっしょに寝ていてよく祖父からどやしつけられたものだ。どの犬も懐かしく思い出されるが、中でも自分が初めてしっかり「主人」として面倒を見たのはドーベルマンのリンダだった。

 

この種の犬は幼い頃に耳と尻尾を切断してより獰猛で敏捷な姿に見えるようにしなければならない。もともと警察犬や軍用犬として改良された犬で、長い耳や尻尾は「戦闘」の邪魔になるし、見た感じも軟弱に見えてしまうからというのが理由らしかった。子ども心に「そんなむごいことを!」と逡巡し、抵抗したものだ、父に説得されてやむなく動物医まで足を運び、痛さに悲鳴をあげるリンダを泣く泣く両手で押さえていた時のことを今でも時折思い出す。。。。

 

それからしばらくは小生も鹿児島、そして東京の学生時代を過ごし、秘書修業を終えて郷里に帰ってきてからは自らの政治活動に精一杯であったし、子どもが次々と生まれるわで、なかなか「犬を飼おう」という余裕もなければ、その心境にもならなかった。しかし、「転機」が訪れたのはこれまた「落選」がきっかけだった。

 

平成五年の二回目の衆議院選に敗れた時は体調の不調を感じていた。振り返ってよく反省してみるとそれもやはり精神的な緩みからきていたのではないかと思うが、なにしろ、一日の遊説が終わるとやけに疲れが出て、ぐったりするという毎日だった。選挙後、一週間ほど入院して検査をしてみたが、医者の見立てでは「運動不足で睡眠不足。それに不規則で偏向した食事でしょう。。この際は健康管理を本格的に始めてください。」というアドバイスだった。

 

再起を期すにも何をするにも健康が土台となる。時間もできたことだし、さて、体力作りに何をやろうかと思案していた時にふと「そうだ。久しぶりに犬と一緒の生活に戻ろう。毎朝、いっしょに歩くことから始めよう」と思い立った。しばらくすると支援者の家にラブラドール・リトリバーの赤ちゃんが生まれたというニュースが入った。すぐに電話をして一頭、貰い受けたい旨の申し入れをし、さっそく出かけていった。

 

ラブラドールは多産系である。一時に十頭近くの子どもを産む。行ってみると十匹の子犬が母親の乳を奪い合うようにして飲んでいる際中だった。女の子がいいと思った。それも顔立ちがよく、性格のおとなしい、おしとやかな子が・・・・(笑)。じっくり観察しているとひときわ目が大きくて、色が白く、何をするにもやんちゃな「兄弟姉妹」たちから押しのけられ気味の可愛い女の子が目にとまった。「この子をください!」と抱き上げると小さな舌で顔をペロリと舐めてくれた。それがリラである。

「リラ」という名前は家内がつけた。なんでも「赤毛のアン」の娘のうち、もっとも美しい子の名前なのだという。真偽を確認したわけではないが、命名の理由に納得してすぐに決定した。それからリラとの早朝散歩が始まることになる。雨の日も風の日も雪の日もリラの紐を手に出かけることが一日のスタートとなった。お陰で浪人期間中、基本的な体力を維持することができ、年毎に大きくなりがちだったお腹も幾分すっきりした。それよりもなによりも毎朝のリラとの散歩は一日のスタートに当たり、心を整えることに大いに役立った。

 

散歩中は基本的に「無心」である。ほとんど犬と同じ心境だと言っていい。季節の移り変わりを肌で感じ、その日の天候を身体全体で感じる。何を考えようということでもないのだが、いろんな思いが頭の中をゆっくりと巡り、やがてそれが一つの悟りや確信に集約されてくることがある。時折、思いついたことを言葉にしてリラに語りかけてみる。リラは顔を見上げ、目を覗き込むばかりでもちらん言葉を発するわけではないが、それでも「了解」してくれたようにこっちが勝手に思い込む。心中穏やかであるはずがない浪人時代、その期間を支えてくれたのは家族であり、支援者であり、そして他ならぬリラであった。

 

東京にいるあいだはリラの散歩は家族にまかせるしかないが、それでもリラといっしょのつもりで毎朝ウォーキングに出かける。時折、隣を歩いているはずのないリラに話し掛けてみたりすることがあって思わず苦笑している。七年の浪人時代を支えてくれたリラ、家に帰るといつも一番先に尻尾をちぎれるほど振って迎えてくれるリラに日々、感謝である。

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