忙中閑話

忙中閑話「改築」

2004.07.24

目下、家の改築をしている。と言っても、つい最近まで自分の家ではなかった。

 

実は小生、これまで土地もなければ家もない、自称「家なき子」であったのだ(笑)。したがって国会議員の資産公開のたびに正直、閉口したものである。提出書類が「空欄」ばかりになるので、ずいぶんといぶかしがられたりしたが、およそ資産と言えるようなものは何も持っていなかったのである。

 

で、どうしていたかというと、祖母の所有していた家を間借りして住んでいた。5年ほど前にそこに戻るまではずっと借家住まいだった。現在の住まいは生まれ育った家であるから、それはそれでよかったのであるが、この家が築後90年は経とうかという代物で、相当に傷みが激しく、ここへきてさすがに住まいをするのに身の危険を感じるようになっていた(笑)。

 

決して冗談ではない。屋根は落ちかかっていたし(修理不能なので屋根全体に雨漏り防止のシートをかけていた)、床はあちこち抜けるし(母は家の中を歩く時に慎重に場所を選んで踏みしめていた)、ドアは開かなくなるし(応接間のドアは客が来るたびに蹴り開け、蹴り閉めていたので、そのたびに驚かれていた)、窓枠は大きく歪んで一年中、我が家は始終、すきま風が吹き抜けていた(お陰でガス中毒の心配だけはなかった)という有様だった。

 

そういう状態なので、国会で東京にいるときに地元を台風や豪雨が襲ったりすると、本気で家族の安全を心配していた(笑)。一時間ごとに電話をかけたりすることもままあった。実際、大きな地震でもあれば、他の家はともかく、我が家は倒壊していただろうと思う。いや、これは決して笑い事ではない。

 

自分自身は正直、土地だの家だのにあまり興味はない。高校の時から家を離れ、寮だの下宿だのを転々としてきたということもあるが、国会に出るようになってからも、東京と地元を行ったり来たりの伝書鳩のような生活なので、一箇所にじっくり定着しようという考えがあまり起こらない。住める状態ならこのままでもよかったのだが、残念ながら、建物自体が物理的に「限界」を迎えていた。

 

転機となったのは、祖母の死だった。当然、遺産相続ということになるのだが、小さな土地と老朽化した家屋を細かく分け合ったところであまり意味はない。親族で協議した結果、結局、「たけしさん、アンタが一括相続して家を建て換えればいい」ということになった。考えてみれば、親父もこの家に住みつづけてとうとう家を建て換えるということがないまま亡くなった。親子三代で80年近くも住みつづけた家を孫の代でリニューアルするのも悪くはなかろうと考えて、とうとう大きな借金を背負う決心をしたのである。

 

聞くところによると現在の家は祖父母が昭和12年に小さな旅館のあとを買って改築したものだという。新築したのかと思っていたら、当時からリフォーム品だったというから、実はどのくらい古いのかよくわからない。一世紀近い風雨に耐えてきたのだとしたら、現在の痛みの程もわからなくはない。その後、昭和44年に祖父母は家の裏の土地にいわゆる「隠居屋」を作って移り住み、「母屋」には父母と自分たち兄弟が住まいすることとなった。今回の計画は最も古い「母屋」を壊して作りなおし、次に古い「隠居屋」を修復し、さらに両方をつないで総じて「新居」にしようというものだ。ややこしい計画になるが、親子三代が生きてきた歴史が重なっているところがいい、と思っている。

 

まるっきりの新築ではないが、相続にかかった費用も含めると相当な「改築代」になる。しかも新築部分は主に子ども部屋や居間等に当てられ、母と自分たち夫婦は隠居屋に住まいすることになるのだから馬鹿らしいと言えばそう言えなくもない。そこまでの普請をするんなら、新天地を求めたほうが得策ではないかとも一時考えたのだが、自分はどうにもその気にならない。住み慣れた土地にはやはり愛着がある。親子三代、この場所で多くの人のお世話にもなってきた。いまさら、新たな場所で近所づきあいを始めるのもどうにもおっくうだ。やはり、現在地を修復して住むのにしくはないという結論に達した。

 

家の具体的な中身は全部家内に任せてある。自分から特に注文はない。新居ができたとて、自分の滞在時間はどうせ短いだろうし、それよりも家内や家族が使いやすいようにするのが一番いいと考えてる。設計と施行は父以来の支援者であり、自分のよき理解者でもある工務店の社長さんと棟梁さんにすべてお任せしている。これまでしょっちゅう何処かがおかしくなるたびに母屋の修理を只同然でやってくれていた。他の人に頼んだのでは罰が当たる気がした。たいした物件ではないだろうが、せめてもの恩返しになればと思っている。

 

既に作業は開始されており、「母屋」は解体されている。解体時には小生は出張しており、帰ってきたら家がなかった、という次第だったが、思ったほど感慨はなかった。むしろ、「ああ、これでひとまず家族の安全は確保された」という感じを強く持った(笑)。大変なのは改築中の今の生活である。現在、狭い隠居屋に家族6人と犬が一匹、移り住んでいる。部屋のスペースのほとんどは「荷物」で占められているので、居住空間は甚だ窮屈だ。子ども部屋も寝室もあったものではない。母には一室あてているが、我々家族5人は6畳間に布団をならべて毎晩、雑魚寝をしている。毎日、さしづめ修学旅行のような気分である。

 

いいこともある。子どもたちとの距離が縮まったことである。「距離」もなにも、朝起きたらお互いの手足が交錯しているような状態なのだが、昔はみんなきっとこんな風だったのだろうと思う。ベッドの生活をやめて布団を上げ下げしてみると、なるほど、日本家屋の畳の部屋はよくできていると思う。寝室があっという間に居間になり、応接間になり、勉強部屋になり、食堂にもなる。そのたびに「片付け」という作業をともなうので、今まで以上にきびきび行動せざるをえないし、それは子どもたちにとってもいい「躾」になる。

 

そうかと思いきや、問題もある。三人の子どもたちにはそれぞれちゃぶ台のようなものを勉強用にあてがっているのだが、同室で、それこそ「机」を並べて勉強せざるをえないので、たまに覗いてみると「談笑」ばかりしておって、ちっとも勉強が進んでいない。我が家の教育方針は「まずは体力」ということでやってきており、これまであまり「勉強しろ」とは言ってこなかったが、それぞれもう高校生と中学生である。そろそろ身を入れてもらわなければならないのだが、今は毎日の「修学旅行」を謳歌しているばかりだ。子ども部屋ができたら、その時は気合いを入れよう、と密かに決意している。

 

この騒動の中、もっとも平然としているのは実は我が家の愛犬、リラだろう。母屋の解体にともない、彼女のそれまでの住まいも一緒に解体されたのだったが、大工さんが気の毒に思ったのか、注文もせぬのに彼女の「新居」を一日がかりで作ってくれた。純木造の新築である。結構、気に入っている様子だ。目下のところ、自分の空間をしっかり確保しつつ、もっとも精神的に安定しているのが彼女かもしれない(笑)。

 

ともあれ、この秋に予定されている「完成」の時まで、上記のような生活が続く。早く広いスペースが欲しいと思う反面、こういう生活も決して悪くはない、と思う。そう言えば昔、テレビで「大草原の小さな家」というドラマがあった。次々と襲ってくる自然災害や困難な事件に一組の家族が大草原の中の小さな家で身を寄せ合い、心を寄せ合いながら雄雄しく立ち向かっていく。

 

そこにこそ、「家族」の原型があり、「家」の原点がある。家は新しくて大きいのがいいのではない。問題は中身であり、家族の心の絆である。それさえしっかりしていれば、小生、何も言うことはない。

忙中閑話