忙中閑話

忙中閑話「新居」

2004.12.21

ようやく新築中の家が完成した。いや、まだ外壁などの工事が残っているから完成に近づいた、と言うべきか。今年は何しろ台風の当たり年だった。工事中の我が家にも4回ほどの大型台風が襲い、その分、工期が遅れたということだろう。なかなか完成しない。まぁ、なんとか正月までに全部が間に合ってくれればと思っている。

 

先週、帰省した折に初めて「新居」に入ってみたが、自慢ではないが小生、これまであまり美しいところに住んだことがないので、いかにも新築の臭いのするピカピカの新居はどうにもまだ居心地が悪い。自分の家のような気がしないのだ。我が家にいながらなんだか「お客様」気分である。

 

できあがりについてはかなり気にっている。外から見てそう目立つわけでもなく、ごく当たり前の家に仕上がっているからだ。ほぼ注文どおりで、大工さんたちに感謝、感謝である。男子47歳にしてようやく「我が城」を持てたことは大変嬉しいことだ。正直、家など一生作れないのではないかと思っていた。まぁ、それでもいいや、とも思っていた。ありがたいことである。やっと「借金」をさせてもらえるようになったということか。。。。

 

そうしてみると、若くしてマイホームを建設している人たちは本当に偉い、と思う。よほどの自己資金がある人でなければ、自分がそうであるように一生かかってその建築代を払っていかねばならないのだが、そう考えてみると、日本での住宅事情は本当に厳しいと実感する。家を持つということが文字通り、男子一生の仕事になっているわけだが、これはもう少しなんとかせねばならないとつくづく思う。そうだ。住宅ローン減税をカットしていくなどという政策は断固間違っている!むしろ拡充すべきであるっ!

 

そう言えば防衛庁の政務官の時に出張で秘書官と一緒にヘリコプターに乗っていた時、彼が「政務官、ほらあそこに見える赤い屋根の家が私の家ですよ。わかります?小さいから見えないでしょう。上から見ると本当に小さいなぁ。。。猫の額ほどもないですよね。でも、あれに一生しばられるんだからなぁ。。」と少しばかり悲しそうな顔をして言ったことを思い出す。実にそうだ、と今になって思う。よくわかるよ。男は辛いよ、な(笑)。

 

我が家の新居は一階部分が「応接間兼書斎」と「居間兼台所」の二部屋である。そして二階部分は子供部屋が三つあるのみである。我等夫婦と母は従来からある旧居に寝泊りすることになる。都合上、「新館」と「旧館」と呼びわけていてなんだか温泉旅館のようなことになっているが、用事を足すのに行ったり来たりせねばならず、これでは便利になったのか不便になったのかよくわからない。風呂は旧館にあり、まだ渡り廊下でつながっていないので、子供たちはバスタオルを巻いたまま外を走ったりしている。

 

家内は念願のシステムキッチンとやらで料理ができることにいたく幸せを感じているようだし、小生も念願の書斎らしきものを持てて大満足なのであるが、子供達はそれぞれ立派な部屋を提供されていながらさほど感動している風でもない。子供のために作ったと言ってもいい家であるにもかかわらず、実にけしからんことである。子供の頃というのはそんなものか。。。せめて「パパ、綺麗なお部屋をどうもありがとう」くらいは言って欲しいものである。

 

そもそも今般の新築の大目的は「子供たちが自室を持って腰を落ちつけて勉強できるように」ということだったのだが、目下のところ、その効果は上がっていない。こっちのほうがもっとけしからんことである。相互監視と親の監視がなくなったせいか、夜帰ったときに部屋をのぞいてみると一様にベッドにひっくりかえってすやすやと寝ている。こっちが旧館に引っ込んでしまえばそれこそ目が届かないことを考えると先が危ぶまれてならない。これだったらみんなで雑魚寝をしていた頃のほうがまだよかったのではないか、などと思ったりする。

 

しかし、考えてみれば、環境が整えば勉強するというものではない。あの二宮尊徳を見よ!あるいは掘建て小屋のような松下村塾を見よ!である。蛍の光、窓の雪、である。志さえあれば机はミカン箱でいいのである。人間はむしろ「逆境」に置かれた時に、発奮し、立志するものだ。うちの爺さんがよく言っていたのは、「たけし、家貧しゅうして孝子出づ、という言葉を知っているか。金持ちの子が立派に育つとは限らん。いや、むしろそのほうが教育は難しい。親が貧乏しているのを不憫に思って、早く立派に成って楽をさせてやろうと思えばこそ人間は頑張るのだ。」ということだった。そのたびに家の近所の実際の「孝子」の例をひいては説教をされたものである。

 

もうひとつが「売り家と唐様で書く三代目」という有名な言葉だ。初代はがむしゃらに頑張って功成り名を遂げるが、苦労し過ぎるばかりにどうしても子を甘やかせて育てる。その子がまた孫を甘やかせて育てれば、どうしようもない輩となって祖父母の代から築き上げた財を食いつぶす。そしてやがて家屋敷を売らねばならないはめに陥る。ところが三代目は教育だけは受けているからその際、「売り家」という字を立派な唐様で、今で言えば[for sale]と立派に英語で書く、という話である。爺さんは「そうなるなよ!」と口をすっぱくして言っていたわけだ。これまでは売る家もなかったが、いよいよそれができた。肝に銘じなければ、と思う。

 

まぁ、それにしても子供の教育は本当に難しい。要はどうやって「立志」させるか、だろう。これがそれほど簡単ではない。「親の背中を見ていれば・・・」と言いたいところだが、それほどの自信もない。親の力では手に余ることもある。素晴らしい先生に出会って感化され、それがきっかけになることもある。同級生にライバル心を抱き、それによって発奮することもある。優れた人物の伝記を読んで感動し、ぜひともその人に近づきたいと思って志を立てるということもある。理由や動機はなんでもいいが、早くそういう気持ちを持って欲しいものだと思う。

 

ふりかえってみると、自分の場合、失敗は多々あるものの、つまるところはしぶとく一直線に自分の思いを貫いてくることができた、と思う。実は結構、我侭な性格で基本的にしたくないことは、するようなふりをしてしてこなかった。そのかわり、本当にやりたいことは一生懸命やった。まぁ、誰しもそんなものだろう。やはり、人間は真に欲することでなければ頑張れない。「目標」や「夢」があれば人間は悪戦苦闘しながらでも前を向いて歩いていけるものだ。したがって、子供たちに「何になれ!」などと言うつもりはない。「なりたい何か」を早く見つけて欲しいだけである。

 

おっと、家の話をするつもりがとんだところに迷い込んでしまったようだ。「新築」という事業が成った今、ふと気がつくことは、当たり前のことながら「家」なんかより人間を育てることこそが大切だということである。これもまた爺さんの言葉だが、「どんな立派な家も一年もあれば建つ。木は50年もすればそこそこの木にはなる。しかし、人間だけは百年かかる。」 まさしくそのとおりだと思う。

 

その子供たちはこれから数年を経ずしてみんなこの家を出ていくことになる。その僅かな数年間の間に親として何をかれらに伝えてあげられるだろうか、と思ってみたりする。ある新聞で見た若者の投書の中に「父よ、何か言ってくれ。母よ、何も言わないでくれ。」というのがあった。してみるといよいよ「父」の出番なのかもしれないな。。。。

忙中閑話