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忙中閑話「痛風」

2008.03.13

大変なことになった。ついに来るべきものが来てしまったのだ。実は小生、一昨日来、初めての「痛風」の発作に苦しんでいる。

 

実はこれまで、毎年の定期健診でいつもひとつだけ正常値を外れていたのが「尿酸値」だった。他の数値はすこぶる正常だったし、「発作」の兆候もまるでなかったので、「まぁ、そういう体質なんだろう。気にすることないや。」くらいに安易に構えていたのだったが、突然の「発症」に驚くやらうろたえるやら、いや、それよりもなによりも、あまりの痛さに身もだえしているところだ。

 

それにしても「痛風」とはよくできた名前だ。通説では「風が吹いても痛い」というところからこの名前がついているそうだが、実際に体験してみて実に説得力のあるネーミングだと変に感心したりしている。

 

発症箇所は右足親指の付け根だ。だいたいこの場所が「定位置」らしい。どうしてそうなのかは医者でもない小生にはよくわからんが、とにかく、そこが赤く腫れ上がっていて触るとキリで突かれたような激痛が走る。それでも仕事を休むわけにはいかんので、毎朝、無理やり靴の中に足を押し込んで出かけるのだが、そのたびに顔が歪み、体がよじれる。

 

ちょうど地元に帰っていた時に発症したので、すぐに同級生の医者に電話して病院へ駆け込んだ(這い込んだ、と言ったほうが正確かもしれない)。勝手な自己診断で予測はしていたものの、「痛風に間違いない!」と太鼓判を押され、早速、薬を処方してもらった。

 

薬局でもらった袋の中を見るとなんだか見覚えのある薬である。そうだ、一昨年、腰の手術をしたときに、術後の痛みを抑えるためにもらった薬と同じだと気づいた。車に乗り込んですぐに水で流し込み、ひたすら薬の効果が発揮されることを待って移動中はずっと押し黙ったままじっとしていた。

 

しかし、である。「腰」の時は驚くほどによく効いた薬が、今度はあまり効かない。ウウム、、、聞きしに勝る恐るべき痛みである。薬を飲んでもなおこのくらいの痛みがあるとするならば、飲まなかったとしたらいったいどんなことになっていたのか、、、思うだにぞっとする。まだ医学の発達していない時代の同病者の痛みたるやいかばかりであったろう、などとつまらぬことまで苦し紛れに頭をよぎる。

 

同級生いわく、治療法としては、まず、痛みがとれるまでは痛み止めの薬だけで我慢をする。次に症状が和らいできたら今度は尿酸値を下げるための薬を服用して様子を見る。さらに、ここからが一番大事だと言うのだが、これまでの飲食を含めた「生活習慣」を心から悔い改め、節制に努める。「痛風退治」にはこれしかないとのことだ。

 

痛みをこらえながら仕事を終えて帰宅し、家内に憐れみを請わんばかりにその日一日の惨状を訴えると、薬剤師というれっきとした医療従事者であるはずの家内は別に驚く様子も同情する様子も見せず、それどころか、少しばかり目を吊り上げて「ほらみてごらんなさい。パパはだいたい、好きなものばかり食べ過ぎるのよ!。最近はお酒もよく飲むし! いい機会だわ。反省しなさい!」ときた。最愛の家内ではあるものの、以前から医療従事者には向かないのでないかと内心思ってきたのだったが、やっぱりそうだ、とそれを聞いて確信を持つに至った。

 

足が痛い上に家内に痛罵され、うなだれて自室に引きこもって安静にしていたのだが、一向におさまる気配がない。まぁ、それでもほかのところが悪いわけではなので、いつものように腹は減る。「ご飯よぉー!」という声に足を引きずりながら食卓へと移動したのだが、出てきたおかずを見て驚いた。

 

肉もなければ魚もない。野菜が数種とたこ焼きだけが並べられている。「えぇー!これだけ?」と思わず言ったら、「当たり前でしょ!パパはまだ反省していないわけ!痛風は一日にして成らず、なのよ。ダムのように少しずつ水が溜まってきたものが、ある日、突然、決壊したのよ。今日から食生活を改めないと先へ行って大変なことになるわよ!」 ウム、そういう解説だけはさすがに医療従事者らしい、、、しかし、それにしても突然にこんな精進料理じゃぁ、あんまりではないか。。。。

 

小生とて、反省していないわけではない。昔から「痛風」は贅沢病なのだという。決して「贅沢」などしてきたつもりはないが、考えてみれば日頃は毎晩のように宴会の連続だ。その宴会の料理とて、全部食べていれば体に悪いと考え、いつも出てきたものの半分くらいを食べるように心がけてはきたのだが、それとて、積もり積もればかなりの量にはなる。その上、言うまでもなく酒を飲む。これも訓練の賜物と言うべきか言わざるべきか、年を追うごとに酒量が増えてきていた。

 

家内の「ダム理論」はおそらく正しい。しかし、突然にこの食事ではやっぱり物足りない。そうだ、次女に助け舟を出してもらおうと哀れっぽく視線を向けてみたのだが、テレビに夢中でパパの窮状に気づく様子もない。半ば観念し、しょんぼりとしてたこ焼きをつついていたら、そこへ母が遅れて食卓へやってきた。

 

母は食卓に並べられた料理を見るや、「あら、どうしたの。たけっさんが帰っているのに、こんなおかずでいいのかい?」と待ちに待っていたことを言ってくれた。

 

「お母様、たけしさんは痛風の発作が出てるんですって。ですから、今日から食生活を変えなきゃいけないんです。」

 

「そう、、それは大変ねぇ。。でも、そうは言ったってこれだけじゃぁ力が出ないんじゃないかい?なにか食べてもよさそうなものはないのかい?」

 

「いいえ。だって今も痛くてウンウン言ってるんですよ。痛みがあるうちは余計に気をつけないと。。。パパ!今日はお酒も飲んじゃ駄目よ!」

 

厳しい局面が続く。なんとか打開しなければならないと思って勝負に出た。

 

「ママ、だけどさぁ、、今日は大志郎が帰ってきてたそうだが、昼間からステーキ焼いてやったっていうじゃないか。息子がステーキで親父がたこ焼きってのはあんまりだろう。ステーキとは言わないが、鳥か豚ならいいだろう???」

 

「駄目駄目!そんなこと言ってたらほんとに治らないわよ。怖いのはね、痛風よりもその先なのよ。尿酸が固まりやすくなってるってことは、尿道結石もありうるわよ。あれは飛び上がるほど痛いってパパ知ってるでしょう。私は心配して言って
るんですからね。」

 

「・・・・・・」

 

見かねて母が言った。「・・・かわいそうじゃないの。今日のところは鳥ぐらい焼いてあげなさいよ。明日からちゃんと気をつければいいわよ、ねぇ。。。」

 

「う、うん。」

 

「ほぉら、やっぱり母は息子には優しいのよね。ママだって大志郎だけは特別扱いだもんね。私と二人の時は昼間からステーキ出たことなんかないもの。ママ、急にそんな食事ばっかりにしたら、、パパがおうちに帰ってきたくなくなっちゃうよ。」 ウム、よしよし、いいぞいいぞ。ようやく次女が援軍となってくれた。これも先日、ママに内緒で渡した小遣いの成果か、と思わずほくそ笑む。

 

分が悪いと見たのか、家内はプイっとしたままきびすを返し、冷蔵庫のドアを開いてなにやら肉の塊らしきものを取り出してくると黙ってそれを焼き始めた。気まずい空気が流れる。

 

「ママ、そのぉ、、、半分でいいよ。」

 

返事はなく、ジュゥジュゥと肉の焼ける音だけが聞こえてくる。

 

「だから、、、半分でいいからね。」

 

「私は知りませんよ。私の前でもう痛いなんて言わないでね、悪いけど。」

 

ほどなく目の前にドンと鳥バタが出てきた。小生の大好物である。冷たい視線を感じたが、こうなったらもう食べるしかない。半分残すつもりが、逆に意地になって全部たいらげた。

 

その夜、案の定、足が疼いたが家内の手前、弱音はもう吐けない。人知れず起き出して追加の痛み止めを飲んだものの、「鳥バタ」のせいかどうかしらぬが痛みは増すばかりで、しばらくうずくまってウンウン唸るはめとなった。

 

やっぱり明日から悔い改めよう、と自分に言い聞かせた。適度な運動だけは毎日怠らなかったので、それで大丈夫だといつの間にか過信をしていたのだろう。第一、大事な役目を担っていて体調管理もできぬようでは世間様にも申し訳ない。これも神様の啓示に違いない、、、。こういう時は小生、つとめて物事を大袈裟に考えるようにしている。50歳にもなったことだし、そろそろ体調管理を真剣に考えるべきときでもある。きっと神様が痛風の痛みをもってそれがしにお告げを下さったのであろう、、、と。

 

ああ、それにしても痛い。なんとか早くこの窮状を脱しなければ。もう我侭は言うまい。贅沢は敵だ!欲しがりません、治るまでは!だ。そうだ、今夜は湯豆腐にでもしとくかな。

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