忙中閑話

忙中閑話「鹿児島へ」

2016.09.15

最近、妙に涙もろくなっている。年をとったのか。。いや、来年、還暦を迎えるにせよ、まだそれほどの年でもない。が、人生の折り返し点はとっくに過ぎている。ここまでくると、これまでできなかったこと、おそらくこの先もできないことのいかに多いことかと時に思うようになった。自分を嘆いているのではない。人を羨んでいるのでもない。ただ、自分一人が成し得ることなどほんの小さなことでしかないということを日々、思い知らされている。

 

高校時代に校長先生から「神様はすべての人々に才能を分け与えている」という話を聞いた。いい話だと思った。観念的には理解していたつもりだったが、本当にわかっていたかと言えば嘘になる。世間知らずで小生意気だった頃に、わかろうはずもない。が、今ならばよくわかる。道に向かって努力する人すべてが尊く、一人一人が実に偉大だと、心底そう思う。だからこそ、自分以外の人の成したこと、成していること、成そうと努力している姿に触れるとその都度、感動し、つい涙腺がゆるんでしまう。

 

最近は、オリンピックを見ては泣き、パラリンピックを見ては泣き、伝記を読んでは泣き、テレビで「プロフェッショナル」を見ては泣き、映画を見ては泣き、、どうも泣いてばかりいる。その都度、家人に感想を聞かれ、答えようとするが、感動で胸がつまって言葉にならない。言いたいことはあるのだが、それを声にして発することでいよいよ感極まって見苦しい姿になることが予測できるのでぐっと堪えたままに終わることが多い。

 

何に感動しているのか。。正しいこと、潔いこと、あきらめないこと、くじけないこと、美しいこと、頑張り続けること、夢を追い続けること、礼儀正しいこと、勇気のあること、情けのあること、謙虚であること、、、並べていけば月並みなことになる。が、その月並みであることがいかに困難であるかということをこの歳月を通じて思い知り始めたからこそ、余計に感動することが多くなっている。

 

「格言」、「至言」といわれる言葉についても同じことを感じる。その言葉を残した人がどのような人生を送ってきたかに思いを致せば致すほどに、襟を正して深くその意をかみ締めなければならないとしみじみ思うようになった。

 

「敬天愛人」という言葉がある。言わずと知れた西郷隆盛翁の言葉だ。物事を成すに当たって道理をつつしみ守ることが『敬天』であり、人は皆自分の同胞であるから、仁の心をもって衆を愛するのが『愛人』という意だ。これも鹿児島で過ごした高校時代に覚えた言葉だ。素晴らしい言葉だと思った。我が人生のモットーにしていこうと思った。これまでそう努力してきたつもりでもあった。しかし、その自負がなんとおこがましいことだったかと、今、つくづく思い知らされている。

 

南洲翁はひとたびは入水自殺を試み、二度にわたる島流しに遭い、そこから再び立ち上がって維新回天を成し遂げた英傑だ。非業に次ぐ非業、不条理に次ぐ不条理に見舞われ、およそこの世の辛酸のすべてをなめ尽くした末に偉業を成し遂げ、にもかかわらず最後にはその意に反して朝敵の汚名を着せられてこの世を去っていった人だ。その人がその人生のすべてを絞り出すようにして吐いたのがこの言葉だとするならば、軽々に諳んじていいわけはなく、まずは慎んで瞑目するほかない。

 

所望されると、「至誠通天」とよく書いてきた。読んで字のごとく、「誠を尽くせば天に通じる」との意だ。しかし、最近、「至誠」と「通天」の間には気の遠くなるほどに距離があるということがよくわかってきた。誠は決して簡単に天に通じたりはしない。そもそも誠をつくり上げること自体が容易ではない。幾たびかの辛酸を経なければ誠ができあがることもない。失望、絶望、苦悩にさいなまれ、絶体絶命の境地に至ってなお道を信じることができるか、と問うている実に厳しい言葉だ。だとすれば、気楽に墨に落とすわけにはいくまいに。

 

来月、久々に鹿児島でおこなわれる同級会に参加することになった。それで今、いろいろな思いが脳裏に浮かんでいる。鹿児島は我が立志の原点だ。卒業して早や40年が経つ。我が身を振り返ればまさに「少年老い易く、学成り難し」というほかないが、その忸怩たる思いの一方で、40年を歳月をそれぞれ懸命に生きてきた友たちとの再会が待ち遠しくもある。この40年、友の一人一人が持てる才能を以って多くを成し遂げ、いなまお成し遂げんと懸命に努力している。その仲間たちとの交歓を通じて、再び立志の原点に立ち返りたいと思っている。

 

「わが胸を 燃やしまみえん 桜島」

忙中閑話