忙中閑話

忙中閑話「お殿様の個展」

2007.05.08

 

 

お殿様とは細川護煕氏のことである。先日、日本橋の高島屋で開かれた氏の陶芸・書道展「晴耕雨読」を観に行った。以前にも一度、偶然に氏の個展を拝見したことがあった。そのときは氏が政界を離れてわずか数年しか経っておらぬので、正直、「あまりたいしたものではなかろう」と半ば冷やかし気分でのぞいてみたのだったが、そのあまりに玄人はだしの作品群に実に驚かされたことを覚えている。あれからさらに数年が経過している。

 

今度はあらかじめ個展の日程を調べてくれていた知り合いがあって、ずいぶん前から楽しみにしていたのだった。今回は会場の片隅で作品集のサインに気軽に応じていた元総理とお目にかかることができ、そのあと食事もご一緒させていただいて楽しい歓談のひとときを過ごすことができたのだが、すっかり政界の臭い(もとよりその臭いがしない人ではあったが)が消え去って文字通り芸術家としての面持ちになっておられたのには大いに感じ入った。

 

小生、氏に関してはこれまでいくつかの印象深いできごとがある。熊本の知事をされていた頃から妙にその存在が気になって氏の言動には注目していたのだが、なにより驚かされたのは「権不十年」と言ってさっさと知事の職を捨て去ったことだった。そればかりかその後たった一人で「日本新党」を立ち上げ、政治改革の旗手として颯爽と中央政界に復帰してきた時には、当時、同じく政治改革の運動に没頭していた小生は稲妻のような強い衝撃を覚えた。

 

あの時の記者会見の様子はいまだに忘れない。氏は新党の企てについてたしかこう言った。「最初は私がソロを奏でる。しかし、これはやがて壮大なオーケストラになる。」 およそ政治家は重大な局面でのセリフにはこだわってしかるべきだが、なかなかここまでに洗練された文句にでくわすことは稀有である。この一言からのちの政治改革、政界再編のドラマが始まったのであるからして、まさしくお見事という以外に無い。

 

このとき、私は「新党さきがけ」の一員として自民党を飛び出し、激動する政治の渦中で大暴れするつもりでいた。しかし、直後の選挙で落選。以来、細川政権の有様は地元のテレビを通じてしかうかがい知ることができない状況に身を置いた。いまだに残念に思うのは、あの政権を間近で観て感じ、そして支えることができなかったことだ。のちに私は自民党に復帰し政界に再起を果たすことになるが、惜しむらくはあの歴史的な政権を自己の体験の一部にしたかったという思いがいまなお強い。

 

その浪人中、東京に用事があって当時、官房長官だった武村正義氏を訪ねて総理官邸にお邪魔したことがあった。当時の官邸の主は言うまでもなく細川護煕氏である。武村氏と話が終わったあと、「岩屋さん、ちょうど細川さんがいるから会っていくかい?」と言われた。「バッジのない身で申し訳ない」と言うと、「ハハハ。そんなことを気にする人じゃないから心配しなさんな。」と言って早速に面会の時間をとってくれた。

 

通常、総理大臣は「応接間」を使って応対をすることになっている。いわゆる「執務室」という総理だけの空間には来客を通さないものだが、武村氏は「どうぞ執務室に、とのことだ」と言う。いささか恐縮しながらも言われるままに入ってみるとそこにはノーネクタイでカーディガンをはおった細川さんがにこやかな表情で座っておられた。

 

「岩屋さん、よく来てくれました。貴方がいないのは大きな損失ですよ。」と有難い言葉をいただいたのだったが、もっと感じ入ったのは「コーヒーでいいですか。いま入れますね。」と言われて自らコーヒーメーカーから一杯分のコーヒーをカップについで差し出してくれたことだった。少しもわざとらしくなく極めてナチュラルな仕草だった。一介の浪人にいやしくも一国の総理が自らコーヒーを入れてくれたのだからして、落選でささくれていた心がずいぶんと癒されたことを覚えている。その一服のコーヒーの味にはいまなお忘れ難い。

 

話は飛ぶが、以前、DNAにはONとOFFのスイッチがあって、そのスイッチをONにするのは意志の力であると聞いたことがある。つまりは強い意志こそが持てる潜在能力を最大に開花させるだけでなく、その代々にわたる継続がDNAをすら書き換えていくという話だった。私は民主主義においては二世、三世の政治家を積極的には歓迎すべきでないと日頃から思ってはいるが、一方で、いまなお政界の主流を占めるそういう政治家群を観察していると「政治的DNA」の強さというものを実感することがあり、その点はにわかには追いつけないものであるとも感じている。

 

細川氏に至っては「二世、三世」などという次元をはるかに超えている。なにしろ中世の時代から何世紀にもわたってこの国のまつりごとのどこかの場面で存在感を保ってきた一統である。数々の大舞台を踏んできたご先祖たちがその治乱攻防の中で書き換え続けてきたDNAの力がこの人にはあるように思える。それが、たとえ参議や知事を経験してきたにせよ、衆議院当選一回で内閣総理大臣になったばかりとは思えない、しごく落ち着いていてまるで力むところのない物腰を産んでいる。

 

「寄り合い所帯の政権運営はなかなか骨が折れる」というような話をひとしきりしたあと、細川総理はこう言われた。「岩屋さん、どうぞご遠慮なく私を集会に呼んでください。大きな会場でなくていいですよ。10人でも20人でもいいですから。きっとうかがいます。」 まさか天下の総理大臣をそんな小さな集会に呼ぶわけにもいくまいが、その温情あふれる励ましは心に沁みて嬉しかった。落胆せる同志を激励するというのはすべからくこうでなければいけないと、その時、肝に銘じた次第であった。

 

実際にその後、細川氏には東京での「励ます会」と地元での「決起集会」の二回にわたって足を運んでいただいた。東京会場での一コマだが、まさにこの人でなければ言えないセリフがあって鮮烈に覚えているので紹介しておこう。そのときは主に地元の大分県出身の方々が集まっておられたのだが、細川氏はそのことに配慮されたのか、こう言われた。「いや実は我が家は以前から大分県の方々に大変お世話になっているんです」と。。。はて、なんのことを言っているのか、一体いつ誰がどういうお世話をしたのだろう、と次の言葉に注目していると、「ええ、参勤交代の時にはいつも大分県を通らせていただいていたのです」と真顔で言われたのには、一堂、大いに仰天したのち、破顔爆笑したのであった。

 

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、その細川氏の今回の個展である。今から10年前、潔く、と言うのか、あっけなくと言うのか、あっさりと政界から身を引かれた細川氏は湯河原に閑居してひたすら陶芸や書や農耕に専念してこられた。この間、一度も政治の舞台に登場したこともなければ、政治的発言をされたこともない。まずはこのこと自体が実に見事なことではないかと自分には思える。たまさか政治の舞台に身を置いていた氏が役割を終えてもとの自分に戻った、いや、そこですっぱりとそれまでの人生を寸断して新しい自分作りを始めた、というわけだが、なかなか常人に成し得ることではない。

 

むろん小生は陶芸などの世界には門外漢ではあるが、素人眼で見ても数年前に観た作品群よりもどれもが洗練され、充実していた。陶芸ばかりではない。書もあり、画もあり、そしてそれらが絶妙にマッチングしていて独自の世界観を構成していた。ここに至ってはもはやこれをして「殿様芸」などと言う者はあるまい。元内閣総理大臣が引退後わずか10年の歳月で今度は芸術家としての評価を得てあまりある作品を生み出している。これまでには、いや、これからもおそらくはあり得ないことであって実に驚嘆に値する。

 

思うに氏の決断力、集中力、己の美学への執着力、蓄積されたDNA力、それらのすべてがこれらの作品群に投入された結果なのであろう。優れた武人であると同時に優れた文人であるという、誰もが願ってかなわない姿に到達されたかの観があって、目の前の作品群の素晴らしさ以上に、氏の人生に立ち向かう姿勢そのものに感銘を深くしたような次第であった。

 

かつて小林秀雄は「人生について」というエッセイの中でこういう言葉を残している。「政治家は文化の管理人ないしは整理家であって、決して文化の生産者ではない。科学も技術も、いやたったひとつの便利な道具すら彼等の手から創り出された例しはない。彼等は利用者だ。物を創り出す人々の長い忍耐も精緻な工夫も、又、そこに託される喜びも悲しみも、政治家には経験できない。政治家を軽蔑するのではない、これは常識である。こういう常識の上に政治家の整理技術は立つべきであると考えているだけなのです。天下を整理する技術が、大根を作る技術より高級であるなどという道理はないのでありますが、やはり整理家は、無意味な優越感に取りつかれるらしい、、、」と。

 

まさにそのとおりだと自らへの戒めをこめて私は思う。政治家は一流の整理家を目指さなければならず、それはそれで大いなる忍耐や工夫を要する仕業であるが、物を創り出す人々こそがこの世の中の実態を創り出しているのであり、そういった人々に対する尊敬の念をいつも持っていなければならないと考えている。細川氏はありていに言えば実に「格好いい」おっさんである。しかし、私が細川氏にあたかも少女のごとく感じ入ってしまうのは、ただ氏が「格好いい」という理由からではない。「一身にして二生」という言葉もあるが、「整理家」としての頂点を極めたあと、けれんみなく「物を創る人」としての第二の人生を選び取り、ここにおいても再び一流を目指しているという、その点にこそある。

 

引退後、10年を経たいまもなお政治家としての氏に対する毀誉褒貶相半ばしていることは承知している。しかし、先に紹介した一言でもって氏は新しい政治局面を切り開き、実際に我が国憲政史上に新しい政治の道筋をしっかりと記した。そのような仕業は誰とて成し得ることではなく、類稀なる能力と魅力を有した政治家が時代に要請され、全人間力を投入して初めて為し得ることであると私は察知している。

 

氏に対する毀貶の最たるものはおそらくは「いとも簡単に政権を投げ出した」という類のものだろう。批判は自由であり、それはあってしかるべきものだ。しかし、自己に課せられた使命が何であり、その使命がいつの段階で達成できたかを正確に自覚し、そこにおいて潔く進退を決することのできる政治家は極めて稀である。ましてや、、、、というのがこのたびの氏の個展を拝観した小生の偽らざる感想である。

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