トップお知らせ

「河野洋平先生のご逝去を悼む」

2026.06.11

元衆議院議長、元自民党総裁の河野洋平先生がご逝去されました。まさに巨星墜つ、との観がしてなりません。先生の国政に対する長きにわたる多大なご功績に対し、衷心より敬意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

大学時代、既に政治への志を抱いていた私にとって、新自由クラブの発足は実に衝撃的な出来事でした。将来ある若き国会議員たちが自民党を離れ、政治改革のために敢然と決起した姿に言いようのない感動を覚えたものです。

 

時を経て、私が国会に初挑戦した際、先生は同じ選挙区(当時は中選挙区)で争っていた先輩議員のところに応援に来られました。正直、残念に思いましたが、先生は「すまないね。どうしても浮世の義理があるものだから理解して欲しい。あなたも頑張りなさい」と事前にわざわざご連絡をくださいました。そのご温情に今でも感謝しています。

 

当選後、私は河野先生が所属しておられた宏池会に入会し、直接にご指導をいただくことになります。やがて宮澤内閣が発足し、先生は官房長官に就任されました。当時、政界はロッキード、リクルート事件を機に再び巻き起こった政治改革の議論の真っ只中にあり、私は若手の同志とともにその運動に没頭しました。

 

党内が真っ二つに割れる大激論の末に、宮澤総理はついに政治改革法案の実現を断念するに至り、我々、改革派の議員はやむなく離党を決意するに至ります。河野官房長官の所にその決意を伝えに行った時、「ああ、これは何という巡り合わせか」と天を仰いだことを今でも鮮明に覚えています。

 

直後の選挙で自民党は下野し(私は落選)、細川連立内閣が発足。野党自民党の総裁となられた先生は、最終的に細川・河野会談で政治改革関連法案を成立させることになります。党利党略を呑み込んでの決断であり、河野先生でなければできなかったことだったと思います。

 

その後、私が7年の浪人期間を経て再び自民党議員として国会に戻った際、宏池会は空中分解して三つのグルーブに分かれておりました。私は迷わず党内最小集団であった「河野グループ」に所属し、再び先生のご指導をいただくことになります。

 

先生はその後、体調を崩されましたが、ご子息、太郎さんからの肝臓移植を経て健康を回復され、5年7ヶ月の長きにわたって衆議院議長をつとめられました。野党からも厚い信頼を受けた、まさしく公正公平な名議長であられたと思います。

 

勇退された後も先生との交流は続きました。時にお電話で、時にお手紙で懇切なるご激励やアドバイスをいただいたことに心から感謝しています。先生は最後まで自民党のあるべき姿、日本の進むべき方向について心を砕いておられました。

 

もはや先生から直接にご指導いただくことはかないませんが、そのご遺志を一端でも受け継ぎ、少しでも形にしていけるよう、微力を尽くしてまいりたいと決意しています。

 

河野洋平先生、長い間、本当にお疲れ様でした。そして、誠にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。

トップお知らせ