「オリパラの政治争点化を憂う」
今日の午後には二年ぶりの「党首討論」が行われます。45分という短い時間ながら、各党首による充実した討論となることを期待したいと思っています。
事前の報道によれば、最大のテーマが「オリパラ開催問題」であるかのように言われていますが、国政の課題が山積する中、その問題ばかりに焦点が当たり、殊更に政治争点化されることは決して好ましいことではないと感じています。
私自身は東京でのオリパラ誘致の運動がスタートした当初の段階から、同一国、同一都市での二回目の開催誘致には、正直に申し上げてあまり共感できないものを感じていました。
世界にはまだ開催国となれていない国がたくさんあります。我が国がかつてそうであったように、オリパラ開催は当事国にとって大きな発展の契機となります。そのチャンスはまだ開催未経験国にこそ与えられるべきだと思っていたからです。
果たして二回目の「東京大会」の誘致は成功しました。しかし、その準備の初期段階から主会場の設計問題をはじめ、様々なトラブルが続いてきました。そして、いよいよになった時に世界をパンデミックが襲い、やむなく一年間の延長が決まった。そして今、その時が刻々と近づいてきているわけです。
私は敢えて同一都市での二回目の開催権を獲得した我が国は、たとえこの厳しい環境の中であっても、安全に立派にこのスポーツの祭典を開催してみせる責任があると思っています。
そして、開催する以上は、参加する選手たちにとっても、運営スタッフやボランティアの方々にとっても、観客となって応援をされる方々にとっても、国民全員にとっても、安心、安全な大会にすべきことは当然です。
そのためには厳格な水際での対策、参加選手団、大会関係者へのワクチン接種の奨励や頻回検査の徹底、感染予防に配慮された会場運営方式の確立など多岐に亘る対策が必要ですが、それは十分に実現可能だと考えます。
目下、プロ野球や大相撲はもとより、あらゆるスポーツイベントが感染予防対策を行いつつ、最大5000人までの範囲内で連日のように開催され、毎日のスポーツニュースを賑わせています。それ以上に厳格な対策を講じて行われるオリパラが安全に開催できないはずはないと私は思います。
私はスポーツの持つ力、アスリート達の持つ力に期待したいと思っています。彼ら彼女らにとってもこの一年は苦難の一年であったでしょう。その苦難を乗り越えてきた選手達が世界中から集まってくる。パラの選手に至ってはそれ以前に一人一人が人生の大きな試練を乗り越えてこられた方々ばかりです。
そのアスリート達の必死で懸命なパフォーマンスは、目下、コロナ禍との戦いの最中にある、それぞれの母国の方々にとってはもとより、世界中の人々の心に勇気と希望を与えてくれるものと確信しています。
「何のためのオリパラか」と多くの人が問います。そんなものが最初から決まっているわけではない。しかし、この局面で開催するからには「人類がコロナと戦い、団結力をもって克服していくためのオリパラ」になってもらいたいと強く願っているところです。