「学術会議」問題の早期収束を願う。
来る26日から臨時国会が開会予定です。スタート間もない菅政権にとっては初めての本格的な国会論戦の舞台となります。継続中の「コロナとの戦い」はもとより、山積する国政の諸課題について建設的な議論が活発におこなわれることに期待したいと思いますし、私も与えられた立場で微力をいたしてまいりたいと存じます。
ところが、その国会開会直前に持ち上がってきたのが「学術会議」をめぐる問題です。新政権にとってのデビュー戦とも言うべき国会論戦の場がもっぱらこの問題に関する議論で終始することになるとすれば、それは極めて残念なことであり、できうれば早期に収束をはかってもらいたいと願っているところです。
正直に申し上げて、私も当初より、政府の今般の判断には違和感がありました。報に接した時に、「これは説明が極めて困難な展開になってしまった」と感じたからです。
確かに法に照らせば学術会議の委員の任命権を有しているのは内閣総理大臣です。しかし、その任命は学術会議のよって立つ性格、その高い独立性に鑑みれば、過去の政府答弁にあるように基本的には「形式的」なものであってしかるべきだと考えます。
むろん、「任命権がある」ということは、「場合によっては任命しないこともある」という事態を法理的には排除していないのでしょう。しかし、それはたとえば候補者に刑事罰等の欠格事由がある、あるいは、看過できない醜聞等があるといったような極めて例外的なケースに限られると考えるのが至当であると思います。
そうであれば、本来は政府と学術会議側との間で事前に適切に意思疎通をおこなった上で、従来通り「推薦通りに任命する」いう形式をとることが、あるべき姿であったと思います。そういう作業がおこなわれなかったとすれば、極めて遺憾なことであり、その結果、このような問題を惹起せしめたことについては、政府と学術会議の双方に責任があるように思えてなりません。
いずれにしても、実際に六名の候補者が政府によって拒否されたという事実がある以上、その理由について政府は説明責任を負っていると思います。「説明が極めて困難だ」というのであれば、ここは一旦、撤回するというのも一つの考え方ではないかと思います。総理は既に学術会議会長と会談したと承知しています。今後も意思疎通を重ねて十分な協議の上に善処がなされることに期待したいと思っています。
一方で、学術会議の在り方についての党内議論が開始されています。「任命拒否」の問題とは本来、別次元の問題であり、同時に進めることについては必ずしも適切ではないと感じていますが、政府が公費を投じている組織である以上、行政改革の観点から不断にその在り方を見直すことについては妥当なことであると思います。
しかし、それはあくまでも10億円相当とされる学術会議に対する政府支出の中身や事務局体制の精査が中心であるべきであって、運営方法や委員の選出方法にまで立ち入っていくとなると、学術会議の「独立性」や「自主性」を損ねる危険性を孕んでいくのではないかと危惧されます。議論に際し、十分な注意や配意が必要でしょう。
学術会議がこれまで防衛関係の研究について極めて消極的な姿勢をとってきたことは事実でしょう。しかしそれは、「戦前の国家体制のもとで学術が軍事に奉仕を余儀なくされた反省に立つ」という学術会議設立の原点に立脚する考え方なのだと思量します。だとすれば、学術会議がこれまで防衛研究に対してつとめて慎重な姿勢をとってきたことを決して理解できないわけではありません。
しかしながら、いまや「戦前」ではありません。戦後民主主義体制のもとで、まがりなりにもシビリアンコントロールが貫徹した現在の状況下での「自衛」に資するための研究については、今後、学術会議側もより理解を深めていただきたいと思いますし、また、政府は引き続きそのための努力をしていかなければならないのだと思います。
来る国会が困難に直面する国民の負託に応えることのできる充実した国会となるよう、政府与党はもとより、野党も含めた国会全体が大きな責任を負っています。私も与えられた立場において全力を尽くしてまいる決意です。