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「原子力災害10年に思う」

2021.03.11

今日は東日本大震災に伴う福島第一原発の事故からちょうど10年目となります。

 

 あの時、国会も大きく揺れ、審議はすぐに中断され、自民党本部へと向かいました。テレビで中継される、東北の海岸に押し寄せる恐ろしい津波の光景を同僚とかたずを呑んで見つめていたことを思いだします。

 

 地震、津波の被害が甚大であることは言うまでもないことですが、原子力災害こそが最悪の災害であるということを、あれから10年経った今、あらためて思い知らされます。

 

通常の災害であれば、一定の期間になんとか復興が望めます。壊れたものは作り直せばよいし、そうすれば土地も以前と同様に使えるようになり、やがては通常の生活が戻ってくる。

 

しかし、原子力災害だけはそうではない。この狭い日本の国土の一部がともすれば半永久的に使えなくなる。廃炉と完全な除染までに気の遠くなるような時間と費用を要する。福島の場合は40年と8兆円と言われていますが、それも本当のところはやってみなければわからない。

 

事故後、党内に検証のための会議体が設けられ、私はその中のひとつのプロジェクトチームの座長を仰せつかり、主にこれまでの原子力政策の検証を担当しました。

 

正直、それまでこの分野には暗く、原子炉の構造すらその時まで知らなかったのですが、勉強を進めていくうちに、素人の自分の目にも既に「核燃料サイクル構想」が破綻していることは明らかだと感じられました。

 

最大の問題は「使用済み燃料」です。この処分がきちんとできない限りは、原発が動いていようが止まっていようが、同じような事故が起きる危険性を完全には排除できないことになる。「どうしても最終処分地が必要だ。そうでなければ、この技術は完成した技術とは言えない」というのが、当時の私の率直な思いでした。

 

いま、我が国のエネルギー政策においては、依存度を低減させていくことを前提としながらも、将来的にも原子力をベースロード電源の一つに置いています。2050年の「カーボン・ニュートラル」という目標もあるだけに、早計に「原発廃止」を唱えるわけにもいかないという事情もよく理解しています。

 

しかし、科学技術の力と政策の働きによってここから脱却することができるとするならば、やはり脱却した方がいい。この段階で期限を区切ることは難しいとしても、将来において原発に依存しないで済む社会を目指すという目標はしっかりと持っておきたいと思っているところです。

 

今年はコロナ禍によって大きな規模の追悼式典は開催されませんが、今日の日に当たり、震災で亡くなられた皆様のご冥福をあらためてお祈りし、被災された皆様へ重ねてお見舞い申し上げます。どうぞ穏やかな一日でありますように。

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