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「宗教被害者救済法案について」

2022.11.09

コロナ療養中ということもあり、普段以上に新聞・テレビ、ネットニュースなどを仔細に点検しています。その中でも気になったのは、統一教会問題に端を発する宗教被害者救済のための法案についてです。

 

これまでは与野党間で協議が続けられてきていたと承知しています。ということは、その段階では与野党合意による議員立法という方式が検討されていたのでしょう。

 

しかし、昨日、岸田総理はこれを政府提出法案として、今国会での成立を期すという趣旨の発表をされました。

 

各種メディアは、これをもって「支持率低迷に苦しむ岸田総理が政権浮揚を目的に『窮余の策』として方針転換に踏み切った」かのように報じていますが、私は少し違うと感じています。

 

と申しますのも、(この段階で必ずしも中身を詳しく承知しているわけではないものの)、野党案を伝え聞く限りにおいては、その内容はかなり多くの問題を孕んでいると感じるからです。

 

第一に、「マインドコントロール」という定義を法律に仕込むことには相当に困難があると考えます。

 

いったい、どこまでが「信心」で、どこからが「マインドコントロール」なのか。。外形的要素だけでは判断が困難な個人の内心の問題を軽々に法律に定義することには極めて慎重であるべきだと考えます。

 

第二には、収入による寄付額の上限制限です。一見、もっともなように思えますが、これも「善意の寄付」を一方的に規制することになりかねず、極めて慎重に検討すべき課題であると思います。

 

事は「信教の自由」「内心の自由」に関わる問題であるだけに、本来、これを政争の具にすることがあってはならず、政府はもとより立法府も努めて冷静かつ適切な判断をしなければならないところだと思います。

 

被害者救済は必要であるものの、だからと言って、自由主義、民主主義の土台を毀損する恐れがあるような法律を拙速な作業で作ることになれば、立憲政治上、極めて大きな禍根を残すことになりかねないからです。

 

与野党間協議は、もちろん有用ではあるものの、場合によっては駆け引き、綱引きの場にもなりかねず、合意ができない場合はそれをもって政治闘争の材料にされる恐れもあります。残念ながら、既にそのような兆候も見受けられます。

 

おそらく、岸田総理はそのような展開を懸念し、この段階で最大公約数として取りまとめることができ、なおかつ、「信教の自由」に照らしても妥当な内容を政府案として提出する判断に至ったものと拝察しますし、であれば適切な判断であると私は思います。

 

文科省(文化庁)が進めている質問権の行使へ向けた作業についても同様なことが言えると思います。当局はあくまでも法律に従って粛々と作業を行うべきであって、「解散請求ありき」で前のめってはならないと思います。

 

最終的に判断を下すのは司法であり、その結果を厳粛に受け止めることが法治国家としてのあるべき姿であって、全貌、全容がいまだ判明していない段階で「断罪」だけが先行しかねない風潮には注意しなければならないと思っているところです。

 

時間がある分、長くなってしまいました。お許しください。

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